レーニン・ピーク(ガルモ峰)7135mBC トレック
8月3日(金) 晴 06:30昨日下調べをしておいたバザール前のサル・タシュ行きマルシュルートカ(以下ミニバス)発着所へ向かうが、手前の乗り合いTAX溜場で声を掛けられる。2人の掛合い人が「5,000com」「NO」と、往きかけるとドライバーが追いかけて来て「4,000com」と小声で囁く。此れも「NO」。ガイドブックには早朝発と書かれているが発着所にはミニバスも客も居ず、ヨーグルトを2Lペットに分配している3人の女性のみ。 彼女達に聞いても通じずウロウロ(オロオロ? )していると中の一人が道路の向うに居る人へ訊きに行き「道路を渡り路地を入り右へ行け」と手振りで示してくれる。広場には数台のミニバスが駐車しているサル・タシュ行きは無く、其の奥に数台の乗り合いタクシーが駐車しており、その内の「サル・タシュ、サル・タシュ」と声を掛けると溜まり場の中からステップワゴンドライバーが。交渉7人乗り「@600com」「OK」。08:00発だが此処でも客集め。 |
![]() Hotelアイダ(左建物) サル・タッシュ村で |
![]() サル・タッシュ村Y字路(左が中国カシュガル、タジキスタン方面へ) |
女性が黒いベールに覆われたムスリム老夫婦、中国系の40代夫婦と気の良い青年。車は沢山の荷物と満席で08:45発、更に途中でスイカを買い込む客もいる。車は東南に向って舗装道路を飛ばし2,400mの小さな峠を越えキュルジョの町を過ぎると道は川沿いの平地を走りサルタッシュ渓谷に入る。 タルドウク峠(3,615m)の上り路は、中国人作業員による工事中そして大きな中国ナンバーを付けた物資輸送のトレラ―が片道規制を塞ぎスイッチバックで下って行く。時折雲が掛り霰がぱらつく峠を下ると雪山が遠望できる中国国境とタジキスタン国境へ延びる分岐、小さな村サル・タシュ(3,000m高地)に着く。 車は分岐を過ぎて路上にスイカの置いて有る「HOTEL АИДА(アイダ)」と書かれたみすぼらしい路上看板の前でピタリと止まる(11:30)。 |
案内された部屋は相部屋で広いが暗く絨毯が敷き詰められているだけで寒い(3食付き400com超粗食)。部屋にはフランスの青年が1人、彼はタジキスタンからとの事でやはり国境は内紛で閉鎖中との事。そして彼の同行者かポーランドの女性教師が時折降る雨の中、折畳んだ自転車を抱え震えながら飛び込んでくる。夕方宿の人と明日のBCへの車の交渉へ行き「1日5,000com、08:00出発、BC着10:00/15:00発、サル・タシュ17:00着」の約束で。 村は盛土の道路を挟んだ向こう側に家並みが集中しているが店看板らしき物は見当たらず分岐に有る雑貨兼立飲み屋?で明日のビスッケトを仕入れる。でも中年の女主人は若干の英語を理解する。 |
写真抜け? |
![]() チョン・アライ山脈山麓の草原帯 |
夜には別の部屋に宿泊中の中国の青年が他の宿に居る中国の女学院生2人を伴って部屋を訪れて来る。彼等は北大観光科?の留学生、日本人教授と共に研究室費用で現地実習との事。大学の研究室も中国留学生は優待??? 8月4日(土) 晴 06:30床を抜けだし遠望の雪山を見に出るが、高雲が覆い全貌は見えない。其の後車の確認に行くが昨日の車は修理中、修理工に別場所に連れて行かれ再び費用の再交渉。110$で成立。 昨日のベンツとドライバーが変わりオンボロアウディーと修理工がHOTELの前に、粗末な朝食をそこそこに08:20出発となる。何故かロシアのカメラマンが同乗。 車は中国が建設したタジキスタン国境方向のチョン・アライ山脈と並行するクズル・スー川沿3,000m国道を猛スピードで走る。運転手は初めてのコースか2〜3回道を訊ねながら、カシカ・スー町(?)の入口に有る「レニン・ピ−ク」の立て看板より右へ、国道を下り橋を渡り広い草原地帯に入る。 |
BCの有るアチックタッシュ渓谷へは川沿いを戻る様にチョン・アライ山脈麓の広い草原帯を突っ切るが、洗濯板の様な支流の川床を横切り、ひょこひょこ姿を現すマーモットは石の上から此方を伺うダートな道を行く。オンボロアウディーは矢張りエンスト、でもドライバーは修理工、お手の物とトランクの床を外しガソリンタンクの中からフィルターを外し、バテッリーにモーターを直結、溜まった水を吐き出させ修理完了。 3,700mの広いBCの下方、丘の上に旅行会社の黄色いテントが兵舎の様に並び、私達はボズ・ユイ(ユルト)の点在する上部で下車(11:00)。 ドライバーとロシア人を残し此の旅の最後のトレッキングを開始。草原帯の前方に雪に覆われたなだらかな稜線に続く今にも雲に覆われそうなレーニン・ピークを見つめながら緩斜面をゆっくり歩き始めるが、左 手前の雪を付けた前衛岩峰がやけに立派に見える。少し先を行く大きな荷を背負う単独行の女性(ヨーロッパ人?)はスタスタと距離を離し、小さな丘の上では下山中のばらけた日本人は、ヘリで入山と聞く同年代と見られるツアー団体が、奇異の眼差しを向けすれ違う。 湧水の有る急登の手前3,800mでビスケットの昼食(12:10/12:40)。 |
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![]() ボズ・ユイの点在するBC上部 |
小さな岩稜部を登ると再び氷河の見える草原台地、ルートは草原台地の先端を左に巻込むと峠越えから渓谷へとなる様なので4,000mを計測し(13:00/13:20)引き返す事にする。名残り花の群生や雪の山に囲まれた懐での一服を楽しみ、車の待つユルトに下る(14:00)。 それにつけてもBCトレッキング話をオシュGHのオーナーにすると盛んに勧めてきたパーミッション(入域許可書(Written permission to enter the area)は何処でチェックを受けるのか?。エージェントはトレキングには不要と言っていたがGHオーナーの儲け話の様だ。 14:20帰路はドライバーがダートの走りの要領を得たのか草原帯を快適に走り、マーモットの見送りを随所で受け国道へ出る(国道出合15:45)。 国道左側に再び雪のチョン・アライ山脈を遠望しながらサル・タシュ着 |
サル・タシュの交差点で暫くオッュヘのヒッチを試みるが、夕方のためかそれらしい車は通過せず、河岸を替えて分岐点近くの看板に引かれ「サル・タシGH」へ。小綺麗なドミ部屋を見ると早々にオカミサンが珍しい宿泊メニューを提示「Stay‐400com Dinner‐150com Breakfast‐100com Total 600com」の明朗会計。此処でもスペインのライダーがタジキスタン国境閉鎖を訴える。 8月5日(日) 晴 HGの親父がオッシュ行きの乗り合いタクシーのドライバーを連れて来るが@1,000こmを要求、往時は@600×6人=3,600こmだと交渉で@800comで成立。 車は07:40発で未だ人気の無い街道をオシュに向けて途中の客も拾わず飛ばす。オシュ着10:00、だが降りる際運転手は3600comを要求、此処でも言葉の不便さが出るが、やり取りのメモを見せ@800comで振り切りオシュGHへ。 |
![]() レーニン・ピーク7135m |
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