Chronicle

このページはJFMAの会報から要旨、選択したものです。


2001年2月
jfma news195
2001年度総会報告


2000年10月
jfma news194
転載記事 「最後の登山探検家・エリック・シプトン」


2000年9月
jfma news193
会員近況


2000年4月
jfma news192
紀行 「ネパール・アンナプルナ・トロンパス越えトレッキング」 高木


2000年2月
jfma news no191
報告 「ネパール・ゴキョ トレッキング」 高木


1999年4月
jfma news190
3月25日 例会 「西ネパール サイパル峰」 講師 野沢井 歩(チーム・サイパル98)


1999年2月
jfma news189
99年度総会報告


1998年10月
jfma news188
9月24日 例会 「南米・’98ボリビア・アンデス」 講師 三浦大介(都立大山岳部、ぶなの会)


1998年8月
jfma news187
7月23日 例会 「カラコルム・トランゴ・ネームレスタワー」 講師 篠原達郎(山岳ガイド)


1998年6月
jfma news186
5月21日 例会 「北極圏・北西航路の旅」 講師 久保田賢次(JFMA)


1998年5月
jfma news no185
4月22日 例会 「ネパールに於ける登山からツーリズム」 講師 森本 泉(御茶ノ水大)


1998年4月
jfma news no184
11月28日 例会 「北極点 無補給、徒歩」 講師 成田修久(ポーラフリー隊)
報告 「カラコルム ’97年ガッシャブルムT峰」 講師 倉嶋


1997年11月
jfma news183
9月26日 例会 「カラコルム・ガッシャブルムT峰」 講師 倉嶋博之、牧野総治郎(JFMA)
10月20日 例会 「インド・ファワラ・ラング峰」 講師 鬼木包重(ぶなの会)


1997年9月
jfma news182
7月28日 例会 「インド・キンノール地方トレッキング」 講師 今井正史(JFMA)
例会報告 続「アラスカ、カナダ13,000km人力踏破」 講師 田中幹也(登攀クラブ蒼氷
紀行 「南米・パタゴニアぶらり旅1997」(最終回) 高木


1997年7月
jfma news181
6月30日 例会 「アラスカ、カナダ13,000km人力踏破」 講師 田中幹也(登攀クラブ蒼氷)
紀行 「南米・パタゴニアぶらり旅1997」(2) 高木


1997年6月
jfma news180
4月16日 例会 「現代冒険論、今フロンティアはどこに  カラコルム・トランゴネームレスタワー」
                                         講師 菊池敏之(オペル冒険大賞事務局)
紀行 「南米・パタゴニアぶらり旅1997」(1) 高木


1997年3月
jfma news179
2月24日 例会 「ネパールでのボランティア活動」 講師 石原澄子(JFMA)


1997年2月
jfma news178
第21回総会報告
11月18日 例会 「カラコルム・K2単独無酸素登頂」 講師 戸高雅史(ガイア・アルパインクラブ)


1996年12月
jfma news177
10月30日 例会 「カラコルム・ウルタルU峰」 講師 堤 信夫(カトマンズクラブ・ウルタル登山隊1996)
報告 「ネパールでのボランティア活動」 石原


1996年10月
jfma news176
7月15日 例会 「人力地球縦断」 講師 九里徳泰
計画 「カラコルム・ガッシャーブルムT峰1997」


1996年7月
jfma news175
6月27日 例会 「南極報告」 講師 久保田賢次(JFMA会員)
紀行 「メキシコ家族旅行」(最終回) 今井


1996年6月
jfma news174
5月20日 例会 「エコマラソン サハラマラソン」 講師 西 一(エコマラソン・インターナショナル)
紀行 「メキシコ家族旅行」(3) 今井


1996年5月
jfma news173
4月18日 例会 「チベットに最初に入域した日本人 能海 寛」 講師 村上 護(作家)
紀行 「メキシコ家族旅行」(2) 今井


1996年4月
jfma news172
3月25日 例会 「モンゴル・フィテン峰」 講師 香取 純(相模原労山)


1996年3月
jfma news171
2月22日 例会 「中央アジア・ウズベキスタン ゼラフシャーン川踏査」 講師 奈良間千之
紀行 「メキシコ家族旅行記」(1) 今井


1996年2月
jfma news170
第20回総会報告


1996年1月
jfma news169
11月27日 例会 「カラコルム・ナンガ・パルバット北壁」
                              講師 坂井広志(千葉工大ナンガ・パルバット登山隊1995)
切り抜き帖


1995年11月
jfma news168
9月21日 例会 「中国・コングールW峰」 講師 高橋清輝(立川女子高校山岳部)


1995年9月
jfma news167
7月21日 例会 「ネパール・チョ・ユー」 講師 山本正嘉(チョ・ユー学術登山隊)
図書紹介 「パミールの3つの峠」 1994年踏査報告書 神奈川ヒマラヤンクラブ編


1995年7月
jfma news166
6月26日 例会 「南米ペルー・ビルカノータ山群」 講師 敷島悦郎(JFMA会員)


1995年6月
jfma news165
5月25日 例会 「ミャンマー・カカボラジ未踏峰(5881m)」 講師 引地 真(一橋大山岳部OB)


1995年5月
jfma news164
紀行 「チベット旅行雑感」 鈴木S
書評 「シベリア大冒険」 東京っ子100人、緑の大地を行く ハバロフスク自然探検隊編


1995年4月
jfma news163
3月31日 例会 「メキシコからガテマラの旅」 講師 杉浦芳郎
著書紹介 「星はやさしく降る」 長谷川昭一著
投稿 「すれちがい家族のネパール紀行」 久保田ゆきの(小学3年生)


1995年3月
jfma news162
2月27日 例会 「シッキム・ツインズ峰」 講師 横川 滋(日本シッキム・ヒマラヤ登山隊)
雑感 「ミャンマー・幻の山カカルポラジ遠征騒動顛末記」  常陸


1995年2月
jfma news161
第20回総会報告
紀行 「カイラス山巡礼の旅」(最終回) 竹田


1995年1月
jfma news160
11月28日 例会 「ネパール・アマダブラム北稜」 講師 田丸瑞穂・道家博司(東京YCC)
紀行 「カイラス山巡礼の旅」(2) 竹田


1994年11月
jfma news159
10月19日 例会 「シベリア最高峰ボベーダ」 講師 大木場 守(東京都山岳連盟隊)
取材訪問 「西川一三さんに聞く」(最終回)”80歳はまだ働き盛り”
紀行 「カイラス山巡礼の旅」(1) 竹田


1994年10月
jfma news158
9月19日 例会 「チベット・エベレストBC,カイラス〜シミコット(西ネパール)」講師 杉田克彦、竹田正子(JFMA)
紀行 「韓国・光州、慶州をたずねて」 今井


1994年9月
jfma news157
7月20日 例会 「チベット・シシャパンマ中央峰」 講師 倉橋秀都(墨田山の会・労山全国連盟隊)
紀行 「チベット旅行」 清岡


1994年7月
jfma news156
6月22日 例会 「チベット・チョモロンゾ峰」 講師 武石浩明(立教大学チョモロンゾ登山隊)


1994年6月
jfma news155
4月22日 例会 「ネパール・ダウラギリT峰」 講師 野沢井 歩(バーバリアンクラブ)
取材訪問 「西川一三さんに聞く」(3)”歩いて釈迦の悟りを‥‥”
書評 「タライのうた」 清岡


1994年4月
jfma news no154
3月24日 例会 「女ひとり ラサへ、カイラスへ」 講師 後藤ふたば
取材訪問 「西川一三さんに聞く」(2)”底辺から見る人生観で”
雑感 「恐怖のスリナガール」 竹田


1994年3月
jfma news153
2月16日 例会 「ウガンダ・ナイルの源流ルエンゾリ山塊マルガリータ峰」 講師 敷島悦郎(JFMA会員)
取材訪問 「西川一三さんに聞く」(1)”輪廻転生はバカくさー” 


1994年2月
jfma news152
第19回総会報告
紀行 「インド・マハラジャ・イマイの聖地巡礼」(最終回) 今井


1994年1月
jfma news151
12月3日 例会 「カラコルム・ボロゴルからチャプールサン渓谷踏査、スパンテイーク峰」 
                             講師 広島三郎(神奈川ヒマラヤンクラブ)
紀行 「インド・マハラジャ・イマイの聖地巡礼」(2) 今井
報告 「インド・ヌン峰登頂裏話」 宮崎


1993年11月
jfma news150
10月22日 例会 「中国・アムネマチン」 講師 中込清次郎(山梨県岳連隊)
紀行 「インド・マハラジャ・イマイの聖地巡礼」(1) 今井


1993年10月
jfma news149
9月20日 例会 「インドの山と旅」「アラスカ・マッキンリー」 講師 今井正史、常陸民生(JFMA会員)
報告 「アラスカ・マッキンリー山」(最終回) 倉嶋
報告 「インド・ヌン峰」 宮崎 


1993年9月
jfma news148
報告 「アラスカ・マッキンリー山」(2) 倉嶋
雑感 続「イラン かたい宗教の掟で」 関口
取材訪問 「神長さん モンゴルはいかが 」


1993年7月
jfma news147
6月28日 例会 「オセアニア・ジャヤ山(4862m)」 講師 関根孝則(明大探検部)
報告 「アラスカ・マッキンリー山」(1) 倉嶋


1993年6月
jfma news146
5月21日 例会 「チベット高原自転車横断」 講師 関口豊重(JFMA)
雑感 「かたい宗教の掟で  イラン」 ’90年11月〜’91年3月 関口


1993年5月
jfma news145
4月22日 例会 「ロシア〜アラスカ・ベーリング海峡スキー横断」 講師 高野孝子(エコクラブ主催)
Mt.Mckinley 登山計画書


1993年4月
jfma news144
3月29日 例会 「南米・ギアナ高地ネブリナ山」 講師 敷島悦朗(株・地平線)


1993年3月
jfma news143
2月18日 例会 「ネパール・冬季アマダブラム」 講師 笹原芳樹(カモシカ同人)
紀行 「インド チャンバ〜ナルカンダの山旅」(最終回) 今井
報告 「海外登山技術研究会に参加して」 常陸


1993年2月
jfma news142
第18回総会報告
紀行 「50日間シルクロードの旅」(最終回) 村上
紀行 「インド チャンバ〜ナルカンダの山旅」(2) 今井


1993年1月
jfma news141
11月27日 例会 「インド・サラスワティ峰初登頂」 講師 寺沢玲子(HAJ)
紀行 「インド チャンバ〜ナルカンダの山旅」(1) 今井
紀行 「50日間シルクロードの旅」(3) 村上


1992年11月
jfma news140
10月23日 例会 「中国・タクラマカン砂漠調査報告」 講師 小寺浩二(法政大地理学)
寄稿 「韓国・雪岳山 山と旅のメモ」 竹田
紀行 「50日間シルクロードの旅」(2) 村上


1992年10月
jfma news139
9月25日 例会 「グリーンランド 単独徒歩縦断計画」 講師 山崎哲秀
紀行 「50日間シルクロードの旅」(1) 村上


1992年9月
jfma news138
7月23日 例会 「ネパール・サガルマータ冬季南西壁」 講師 尾形好雄(群馬岳連隊・HAJ)
紀行 「出パキスタン記」(2) 関口


1992年7月
jfma news137
6月26日 例会 「タイ最北部自転車一人旅」 講師 高野 真
紀行 「出パキスタン記」(1) 関口


1992年6月
jfma news136
例会報告 続「ロシア・カムチャッカの山と自然」 講師 南 博人
5月21日 例会 「アラスカ・厳冬期のユーコン川」 講師 稲村昭南(アジア自然塾)

報告 「ブータン・ツェンダカン初登頂」(最終回) 桜井


1992年5月
jfma news135
4月24日 例会 「ロシア・カムチャッカの山と自然」 講師 南 博人(東京雲稜会員)
報告 「ブータン・ツェンダカン初登頂」(3) 桜井
紀行 「南米 パタゴニアへの旅」(2) 杉田


1992年4月
jfma news134
2月28日 例会 「ブータン・ツェンダカン初登頂」 講師 桜井文隆(千葉大学士山岳会・JFMA会員)
3月26日 例会 「中近東からアフリカへ 自転車旅行」 講師 関口豊重(JFMA会員)
報告 「ブータン・ツェンダカン初登頂」(2) 桜井
紀行 「南米 パタゴニアへの旅」(1) 杉田


1992年2月
jfma news133
総会報告
11月29日 例会 「モンゴル高原にチンギス・ハーンの墓を求めて」 講師 長野亮之介(地平線会議同人)
報告 「ブータン・ツェンダカン初登頂」(1) 桜井


1991年11月
jfma news132
10月22日 例会 「天山山脈 ポベータ峰」 講師 近藤和美(日本勤労者山岳連盟)
切り抜き帖


1991年10月
jfma news131
9月17日 例会 「インド・カンチェンジェンガ北東支稜登攀」 講師 尾形好雄(日本ヒマラヤ協会)
切り抜き帖


1991年9月
jfma news130
7月19日 例会 「チベットの素顔」 ペマ・ギャルボ(チベット文化研究所所長)
報告 「スイス・モンブラン」 江連


1991年7月
jfma news129
6月21日 例会 「カラコルム・トランゴタワー 他」 講師 木本 哲(山岳同志会)
資料 「チベットについて理解を深めるため」
寄稿 「南米のコレラ事情について」 阿部賢司


1991年6月
jfma news128
5月24日 例会 「東欧、アフリカ バイク女一人旅」 滝野沢優子
報告 「カラコルム・ガッシャブルムT 遠征」(最終回) 倉嶋
紀行 「ネパール・ガンジャラ(5200m)越え」(最終回) 常陸


1991年4月
jfma news127
4月19日 例会 「中国・ブラマプットラ河ラフティング」 講師 八木原くに明(ミヤマ山岳会)
報告 「カラコルム・ガッシャブルムT 遠征」(5) 倉嶋
紀行 「ネパール・ガンジャラ(5200m)越え」(3) 常陸
書評 「大地・ひと・ロマン 木村肥佐生先生追悼集」 杉田


1991年3月
jfma news126
2月28日 例会 「中国・ナムチェバルワ偵察」 講師 早坂敬二郎(東京農大農友会山学部)
報告 「カラコルム・ガッシャブルムT 遠征」(4) 倉嶋
紀行 「ネパール・ガンジャラ(5200m)越え」(2) 常陸


1991年2月
jfma news125
第16回総会報告
報告 「カラコルム・ガッシャブルムT 遠征」(3) 倉嶋
紀行 「ネパール・ガンジャラ(5200m)越え」(1) 常陸
日記 「シッキム・カンチェンジェンガBC」 松島


1990年12月
jfma news124
11月29日 例会 「JFMAガッシャブルムT峰」
報告 「カラコルム・ガッシャブルムT 遠征」(2) 倉嶋
日記 「ネパール・アンナプルナ一周」(2) 松島
対談 「ネパールの民主化」 スマン・シュレスタ(日本語学校長)に聞く 石原


1990年11月
jfma news123
10月25日 例会 「南米・ボリビアの山旅」 講師 村口妙子(女子登攀クラブ)、山本 修(日大山岳部OB)
報告 「カラコルム・ガッシャブルムT 遠征」(1) 倉嶋
日記 「ネパール・アンナプルナ一周」(1) 松島


1990年10月
jfma news122
9月20日 例会 「インドネシアの登山事情」 講師 児玉 茂(日本山岳会)
報告 「カナデアンロキー・Mt.Victoria」 横山


1990年9月
jfma news121
ガッシャブルム登山隊通信 常陸


1990年7月
jfma news120
6月22日 例会 「現地報告 1989年スリランカに何が起こったか」 講師 執行一利(立教大学大学院)
切り抜き帖


1990年6月
jfma news119
4月20日 例会 「モンゴル・ツァガン・デグリ峰」 講師 原田雅子(桜門山岳会・女子登攀クラブ)
JFMA カラコルム・ガッシャブルムT峰 計画概要


1990年4月
jfma news118
3月30日 例会 「南米・アコンカグア、中国・チョモランマ」 講師 今村裕隆(ベルニナ山岳会)
書評 「出ようか日本 女31歳」 久保田
報告 「高所研究会に参加して」 関口


1990年3月
jfma news117
2月22日 例会 「ペルー・アンデス」 講師 阿部正巳(東京スキー山岳会)
随想 「ネパールで感じたこと」 澤村


1990年2月
jfma news116
第15回総会報告
随想 「カトマンズゥの休日」 杉田


1989年12月
jfma news115
11月16日 例会 「南米・アマゾン川下り」 講師 大貫映子
紀行 「チリ領パタゴニア」(最終回) 芝田
随想 「スペインのおそまつ」 池上
1989年活動報告


1989年11月
jfma news114
9月21日 例会 「女ひとり中国を行く」 講師 山本美和子
紀行 「チリ領パタゴニア」(3) 芝田
書評 「チベット白書」 杉田


1989年9月
jfma news113
7月20日 例会 「カラコルム・ガッシャブルムT峰(中国)」 講師 福島正明(ヒマラヤ同人)
紀行 「チリ領パタゴニア」(2) 芝田
書評 「女ひとり中国を行く」


1989年7月
jfma news112
6月22日 例会 「映画鑑賞 オロチョン族 山を駆ける狩猟民族、カヌーの旅」
情報 「現在のネパール事情を聞く」(最終回) 杉田
紀行 「チリ領パタゴニア」(1) 芝田


1989年6月
jfma news111
5月26日 例会 「インド・シヴァ峰」 講師 高本信子(日本山岳会)
寄稿 「世界一周の旅 僕の経験からアドバイス」(最終回) 原
情報 「現在のネパール事情を聞く」(1) 杉田
書評 「文藝春秋にみるスポーツ昭和史」


1989年5月
jfma news110
4月20日 例会 「北極圏 バフィン島・トール西壁単独登攀」 講師 山野井泰史(日本登攀クラブ)
寄稿 「世界一周の旅 僕の経験からアドバイス」(2) 原


1989年4月
jfma news109
3月24日 例会 「ヒマラヤを隔てたチベット人たち」 講師 丹羽隆志(独協大学自転車部)
寄稿 「世界一周の旅 僕の経験からアドバイス」 原
紀行 「聖地ルンビニ」 清岡


1989年3月
jfma news108
2月17日 例会 「カラコルム リモT峰」 講師 尾形好雄(日本ヒマラヤ協会)
紀行 「”アフリカ”ロバを供に」(最終回) 関口


1989年2月
jfma news107
1月19日 第14回定期総会報告
紀行 「”アフリカ”ロバを供に」(5) 関口


1988年11月
jfma news106
10月18日 例会 「カラコルム ザ・ファースト・トランゴ」 講師 野中玲樹(星稜登高会)
11月22日 例会 「中国 ゲニ峰」 講師 天城たか彦(日本ヒマラヤ協会)
紀行 「”アフリカ”ロバを供に」(4) 関口


1988年10月
jfma news105
9月20日 例会 「ネパール チョオユー」 大蔵 (カモシカ同人)
論評 「徒然なるに想う」 倉嶋
紀行 「”アフリカ”ロバを供に」(3) 関口


1988年9月
jfma news104
論評 「『川を下って都会の中へ』そして『北極海へ』」 T.H生
紀行 「”アフリカ”ロバを供に」(2) 関口
紀行 「カナデアン・ロキーでファミリーキャンプ」 横山


1988年8月
jfma news103
紀行 「中国・少数民族をたずねて」(最終回) 常陸
紀行 「”アフリカ”ロバを供に」(1) 関口
紀行 「カナダ 細く、そして長く」 今井


1988年7月
jfma news102
7月19日 例会 「ネパール映画 3本」
論評 「ある山との決別」 常陸
紀行 「アンナプルナ内院へ」(最終回) 倉嶋
紀行 「トルコの旅」(最終回) 池上


1988年6月
jfma news101
6月14日 例会 「北朝鮮 白頭山」 講師 福島正明(ベルニナ山岳会)
論評 「岳連加盟でJFMAの活動のさらなる飛躍を期待する」 常陸
紀行 「中国・少数民族をたずねて」(4) 常陸
紀行 「アンナプルナ内院へ」(2) 倉嶋
紀行 「トルコの旅」(5) 池上
募集 ガッシャーブルムT峰、トレッキング隊員募集


1988年5月
jfma news no100
5月12日 例会 「ヒマラヤ・冬期アンナプルナ南壁」 講師 八木原くに明(群馬岳連)
紀行 「中国・少数民族をたずねて」(3) 常陸
紀行 「アンナプルナ内院へ」(1) 倉嶋


1988年4月
jfma news no99
4月12日 例会 「カラコルム ナンガ・パルバット」 講師 坂原忠清(川崎市教員登山隊)
紀行 「トルコの旅」(4) 池上
紀行 「インド・ラダックへの旅」(3) 荻原
紀行 「中国・少数民族をたずねて」(2) 常陸
論評 「今、ヒマラヤは!!」 T.H生


1988年3月
jfma news no98
3月8日 例会 「カラコルム・ガッシャブルムT」 講師 常陸民生(会員))
紀行 「トルコの旅」(3) 池上
紀行 「インド・ラダックへの旅」(2) 荻原
紀行 「中国・少数民族をたずねて」(1) 常陸


1988年2月
jfma news no97
1988年総会報告
紀行 「インド・ガンゴトリ氷河」(2) 倉嶋
紀行 「トルコの旅」(2) 池上
紀行 「インド・ラダックへの旅」(1) 萩原


1987年12月
jfma news no96
竜頭蛇尾 「JFMA再活動に向けて」 杉田
報告 「カラコルム・ガッシャブルムT峰遠征を終えて」 常陸
紀行 「トルコの旅」(1) 池上
紀行 「インド・ガンゴトリ氷河」(1) 倉嶋


jfma news no95
4月27日 例会 「中国・崑崙最高峰」 講師 早坂敬二郎(東京農大山岳部)
地域研究 「インド・ヒマラヤ」(3)
紹介 パラグライダー


jfma news no94
3月27日 例会 「高所順応」 講師 塩田純一(ドクター・G登攀クラブ)
報告 「海外登山技術研究会に参加して」(下) 常陸
地域研究 「インド・ヒマラヤ」(2)


jfma news no93
2月26日 例会 「チベット・ギャラベリ」 講師 飛田和夫(日本ヒマラヤ協会)
報告 「海外登山技術研究会に参加して」(上) 常陸
地域研究 「インド・ヒマラヤ」(1)


jfma news no92
1987年度総会報告
行動記録 「ネパール・ジョムソン街道」 林
最新事情 登山用具
JFMA 蔵書目録


1986年12月
jfma news no91
11月25日 例会 「氷河と雪崩」 講師 渡辺興亜(国立極地研究所)
会員往来 年末年始


1986年11月
jfma news no90
10月30日 例会 「北磁極点単独旅行」 講師 大場満郎


1986年10月
jfma news no89
9月25日 例会 「ネパール・ローツェ西稜」 講師 福島正明(ベルニナ山岳会)
高山病体験記(下) 横田川
書感 「風狂を尽くして」 早大山岳部編 萩原


1986年9月
jfma news no88
8月22日 例会 「南極の自然と歴史」 講師 吉田 稔(第25次南極観測隊員)
高山病体験記(上) 横田川
紀行 「インドぶらり旅」 倉嶋


1986年8月
jfma news no87
山書紹介「ネパール・ダウラギリT峰 厳冬期初登頂報告書」 北大山岳部山の会編
雑感「山岳画家集団縦走記
会員往来 夏休み


1986年7月
jfma news no86
6月20日 例会 「カラコルム・ガッシャブルムU」 講師 松本正城(ガイド)
記録 ネパール・メラピーク(3) 倉嶋
随想 「テンジン氏の想い出」 常陸


1986年6月
jfma news no85
5月16日 例会 「ブータン・ナムラシ」 講師 吉永英明(千葉大山岳部OB)
記録 ネパール・メラピーク(2) 倉嶋
書感 「チベットわが祖国」 ダライ・ラマ著 S生


1986年5月
jfma news no84
3月27日 例会 「カラコルム・マラクテサール」 講師 杉本忠男(東京志岳会)
4月22日 例会 「ネパール メラ・ピーク」 講師 倉嶋博之
記録 ネパール・メラピーク(1) 倉嶋


1986年3月
jfma news no83
2月25日 例会 「ネパール・マナスル」 講師 山田 昇
記録 カナダ テン・ピ−クス 横山
日本のラマ教ゴンバ 常陸


1986年2月
jfma news no82
総会報告
”西域探検紀行全集第2巻「黄河源流からロブ湖へ」 K生


1986年1月
jfma news no81
11月28日 例会 「中国・クラウン」 講師 中込清次郎
総会報告概要


1985年11月
jfma news no80
10月29日 例会 「イスラムの世界」 講師 岡田恵美子(東京外語大助教授)
記録 「カナダ・Mt.Albret」 横山


1985年10月
jfma news no79
9月24日 例会 「アルゼンチン・アコンカグア」 講師 堤 美仁(駒沢大探検部OB)
記録 「カナダ・Mt.Rundle」 I記
紀行 「韓国歴史の旅」 石井


1985年9月
jfma news no78
続 カナディアン・ロキーをめざして  鈴木Y
8月27日 例会 「カナダ遠征報告」
記録 「カナダ スケジュール、Mt.Edith」 I記


1985年8月
jfma news no77
カナディアン・ロキーをめざして  鈴木Y
紀行 「中国駆け足旅行雑感」 T.Y生
連載”西域探検紀行全集第1巻「ユーラシア横断紀行」 H.K生


1985年7月
jfma news no76
竜頭蛇尾 「JFMA  過去、現在、そして‥‥」 大関
7月5日 例会 「ベネズエラ・エンジェル・ホール登攀」 講師 木本 哲(山岳同志会会員)


1985年6月
jfma news no75
竜頭蛇尾 「みたびカナダの山へ」 横山
4月25日 例会 「パミール、ヨーロッパ、アジアの山」 講師 近藤和美(労山海外委員会)


1985年4月
jfma news no74
3月29日 例会 「インド・マモストン・カンリ」 講師 吉田憲司(HAJ会員)
連載「”人と辺境”を読み終えて」 池上
山書紹介


1985年3月
jfma news no73
2月26日 例会 「冬季アマダブラム」 講師 斎藤幹司(YCC会員)
連載”人と辺境”第7巻「ダッタンの山々」 池上
山書紹介


1985年2月
jfma news no72
12月20日 例会 「チベット・カイラス山」 講師 山森欣一(日本ヒマラヤ協会)
総会 資料
山書紹介
寄稿  「売り場での思いつき」  大滝健司郎
私は東京の西の一角にある某百貨店のスポーツ用品売り場に勤務しています。売り場はアウトドアスポーツ用品と登山用品が一様に並べられ、さながら見本市の展示場に近い賑わいと品揃えをしています。勤め始めてからやっと4年になった私ですが、様々なタイプのお客様と接してきました。また、私どもの店では、道具を売るだけでなく、その使い方、遊び方をも一緒に売っています。そんな日常の業務の中で、山を登る人たちに幾つかのタイプがあることに気づきました。まずそのあたりのお話を、今日は思いつくままにしてみたいと思います。
私の店では年間にわたって登山教室とロッククライミング・スクールを行っています。そのスクールにいらっしゃる受講生の皆さんの動機を大きく三つに分類してみますと、第1位にあげられるのは、その殆どの方は同好の諸氏との語らい(コミュニケーション)を求めてやってきています。2番目の動機として多いのは、スクールに所属しているということに一つの文化的満足感を持っているということです。本来技術を教える所に、そういった方が多勢集まるのは一体どういった現象なのでしょうか。私なりに考えてみますと、既存の山岳会なりクラブがそういった人たちの欲求を満たしていないのではないか、と思うのです。日本のクラブの特徴である徒弟制度的なクラブ運営が入会の意志をくじいてしまうのではないか、と思うのです。あの日本山岳会でさえサロン的な雰囲気を標榜しておりますが、いたって前近代的な様相であることは一度その集会に参加された方ならおわかりになると思います。
第3番目に登場するのが技術の向上を求めてやってくる方もいるという事実です。
スクールを運営してみてつくづく思うのですが、職業、年齢、性別を越えたところのソシアルコミュニケーション機能をもつことが、今一番大切な山のクラブの条件であるような気がしてなりません。
さて、以上の点は私どもの店によくいらっしゃるこれから山登りを始めたいなぁと思って動き出した方の動機であります。
つぎに、現在の登山界をリードすると思われる中堅どころの方たちのタイプを、私なりに二つに分けて考えてみました。その一つは”表日本型登山者”ともいうべきクライマーの集団です。夏季はハードな肉体のトレーニングの後に湿気を避けた岩場を求めて、山頂を目指すことなくクライミングを実践している人たちです。勿論冬もそれだけという人もなかにはいます。小川山や城ヶ崎に始まり、全国各地の低山の岩場とボルダーを求めて軽快なスタイルで攀っています。相当上手な登り手でも穂高や剣の頂上にはあまり興味を示しません。彼ら表日本型登山者の中には、冬になりますと雪の少ない表日本の山でアイスクライミングを夜行日帰り的に展開する方もいます。これとて頂上を目指すわけではありません。こういった方たちは新しい道具に必要以上に執着していて、選んであげるのに苦労します。彼らの目標はヨセミテやそれに類した山岳です。
もう一方のタイプは、年齢が上がり”裏日本型登山者”と呼称できそうな一群です。彼らは剣、穂高、谷川岳等の岩場を登山靴でも登ります。夏の雪渓もアイスアックス一丁で頑張ります。冬は輪かんじきとか山スキーの手入れに余念がありません。その頂点の方の目標は未知なる大陸の白い高山です。いま表日本型登山者と裏日本型登山者とに分けましたが、勿論、その両方を個人の内で実践している方も多勢おります。
こういった風に見ていきますと、一体この人はどんなタイプの山登りをしているのかと、来るお客様と接しながら考えてしまうのです。さらに山を登る技術をスクールという形で教えているわけですが、山を登るテクニックはすぐに教えられ覚えていただいても、なかなか山を知ることの意を解していただくのは難しく思えてきます。
売り場での思いつきを、今日はお話させていただきました。今年は少々アイスクライミングに熱を上げている私も段々表日本型になってきたのでしょうか!

     11月定例集会の講演要旨より


1985年1月
jfma news no71
総会 活動報告
紀行 「スイス・ツエルマット スキートリプル道中記」第6回 石原


1984年12月
jfma news no70
11月27日 例会 「カラコルム ユクシン・ガルダン・サール」 講師 大滝憲司郎(東洋大山岳部OB)
紀行 「So I went to India」 続 勝原
山書紹介 「ヒマラヤ No156」 日本ヒマラヤ協会


1984年11月
jfma news no69
9月25日 例会 「ネパール・ツクチェピーク」 講師 牧 恵美子(ブッシュ山の会)
10月30日 例会 「ネパール・カンチェンジュンガ縦走」 講師 磯野剛太(山岳ガイド)
連載”人と辺境”第6巻「カラコルムからパミール」 池上
紀行 「So I went to India」 勝原



1984年10月
jfma news no68
紀行 「世界一周漫遊記」Part3 吉野


1984年9月
jfma news no67
7月17日 例会 「イラク見聞」 講師 遠藤喜重郎(東京白稜会)
連載”人と辺境”第5巻「ヒラヤマ巡礼」 池上
紀行 「スイス・ツエルマット スキートリプル道中記」(5) 石原
紀行 「世界一周漫遊記」Part2 吉野


1984年7月
jfma news no66
竜頭蛇尾「神々の住む山のプルトニュウム汚染」 今井
6月29日 例会 「インド・クン」 松本正城(山岳ガイド)
紀行 「スイス・ツエルマット スキートリプル道中記」(4)石原 


1984年6月
jfma news no65
紀行 「スイス・ツェルマット スキー・トリプル道中記(3) 石原
紀行 「世界一周漫遊記」Part1 吉野
随想 「ある些細な挑戦」 久保田


1984年5月
jfma news no64
4月19日 例会 「南極」 講師 小椋成人(カメラマン)
紀行 「スイス・ツェルマット スキー・トリプル道中記(2) 石原
随想 「私のヌンブール」 常陸


1984年4月
jfma news no63
3月29日 例会 「アマゾン」 講師 増島達夫(カメラマン)
紀行「スイス・ツェルマット スキー・トリプル道中記(1) 石原
論壇 「非道なヒマラヤ登山家」


1984年3月
jfma news no62
2月28日 例会 「ネパール ヌンビール」 講師 常陸民生(高崎経済大山岳部OB)
連載”人と辺境”第4巻「異教徒と氷河」  池上


1984年2月
jfma news no61
1月27日 定期総会報告
紀行 「Memory in Langtang Himal '83」(6) 竹内


1984年1月
jfma news no60
竜頭蛇尾 「ヒマラヤ登山者は野蛮人か?」 松島
11月29日 例会 「ビックホワイト・ピーク」 講師 黒川隆史(東海大山岳部OB)
12月15日 例会 「ネパールトレッキング報告」
1983年活動報告、1984年活動方針(案)


1983年12月  「CB11遠征記録」 112頁  出版

JFMA  蔵書目録 (1)
 


1983年11月
jfma news no59
竜頭蛇尾 「『年配者』の登山活動に思う」 大賀
10月18日 例会 「サハラ砂漠横断」 講師 賀曾利 隆(日本地平線会議)
紀行 「Memory in Langtang Himal '83」 5 竹内


1983年10月
jfma news no58
報告 「海外遭難対策研修会」日本山岳協会主催 常陸
9月27日 例会 「ブータン事情」 講師 橋本しおり(日本女子登攀クラブ)
紀行 「Memory in Langtang Himal '83」 4 竹内


1983年9月
jfma news no57
竜頭蛇尾 「『反核』を考える」( 3) 勝原
8月23日 例会 「カラコルム・カンジュト・サール」 講師 藤井正善(千葉工大隊隊長)、金子雅信
紀行 「Memory in Langtang Himal '83」 3 竹内


1983年8月
jfma news no56
竜頭蛇尾 「『反核』を考える」( 2) 勝原
7月26日 例会 「インド・ガンゴトリー山群・ケダルナート南壁」 講師 竹内雅雄(アルコウ会)
書評 「氷河への旅」 樋口敬二  松島


1983年7月
jfma news no55
6月24日 例会 「南米・パタゴニア・フィッツロイ」 講師 熊ヶ谷吉勝(日本登攀クラブ)
紀行 「Memory in Langtang Himal '83」 2 鈴木K


1983年6月
jfma news no54
竜頭蛇尾 「『反核』を考える」(1) 勝原
5月31日 例会 「中国・ボゴタU」 磯野剛太(日本山岳会・ボゴタ登山隊長)


1983年5月
jfma news no53
竜頭蛇尾 「『自然保護』を考える」 池上
4月22日 例会 「アンデスの山」 講師 山家 (江東登攀クラブ)
紀行 「Memory in Langtang Himal '83」 1 鈴木K


1983年4月
jfma news no52
竜頭蛇尾 「JFMAとぶなの会」  今井
3月29日 例会 「チゴリ(K2)」 講師 坂下直枝(山学同志会)
連載”人と辺境”第3巻「青いケシの国」 池上


1983年3月
jfma news no51
竜頭蛇尾 「環境保護について」 杉田
2月25日 例会 「チベット旅行」 講師 松葉ゆたか(画家)
書評 「ヒマラヤ研究」 原 真・渡辺興亜編 常陸
地域研究会 第1回〜第3回 


1983年2月
jfma news no50
定期総会 報告
連載”人と辺境”第2巻「国境のかなた」大探検家ベイリーの生涯 池上


1983年1月
jfma news no49
第8回定期総会 議案


1982年12月
jfma news no48
11月2日 例会 「第3回日山協海外登山遭難対策研修会」 報告者 常陸
12月3日 例会 「海外青年協力隊に参加して(アフリカ・マラウィ)」 講師 森
12月14日 例会 「インド報告」 報告者 今井
連載”人と辺境”第1巻「幻の探検家ネイ・イライヤス」 池上


1982年11月
jfma news no47
9月24日 例会 「カナダ遠征報告」 報告者 横山他
第2回1982年カナディアン・ロッキーの山旅(2)「カナディアン日記」 宮坂
         カナディアン・ロッキーの山旅(3)「モレーン・レイクバックパッキング」 鎌本
「ヘデェンと黄文弼について」 大関


1982年10月
jfma news no46
8月31日 例会 「サハラ砂漠横断計画」 講師 福井慶則(中央大学)
第2回1982年カナディアン・ロッキーの山旅(1)「一転二転のミネワンカ」 藤原
連載”ヘデェン探検紀行全集”「探検家としてのわが生涯」  大関
インド・マナリ情報  森田千里


1982年8月
jfma news no45
1981年8月「インドの山旅」(2) マナリ〜ラダック  常陸
連載”ヘデェン探検紀行全集”「さまよえる湖」  大関


1982年7月
jfma news no44
7月9日 例会 「チョー・オュー(8153m)」 講師 小松 猛(荒川労山)、奥谷恵美子
1981年8月「インドの山旅」(1) マナリ〜ラダック  常陸
連載”ヘデェン探検紀行全集”「シルクロード」(3)  大関


1982年6月
jfma news no43
 竜頭蛇尾 「ヒマラヤの環境破壊とその闘い」(3)  松島
6月11日 例会 「カラコルム・ディラン(7266m)」 講師 大埜和子(アルクトス)、栗原英一(杉並山の会)
’81〜’82 ネパール・アンナプルナBCトレッキング(最終回)  今井
連載”ヘデェン探検紀行全集”「シルクロード」(2)  大関


1982年5月
jfma news no42
 竜頭蛇尾 「ヒマラヤの環境破壊とその闘い」(2)  松島
5月21日 例会 「ネパール・ランタン谷の山やま」 講師 常陸民生
’81〜’82 ネパール・アンナプルナBCトレッキング(3)  今井
連載”ヘデェン探検紀行全集”「シルクロード」(1)  大関


1982年4月
jfma news no41
 竜頭蛇尾 「ヒマラヤの環境破壊とその闘い」(1)  松島
4月2日 例会 「ネパールの山やま」 講師 内田良平(山岳写真家)
’81〜’82 ネパール・アンナプルナBCトレッキング(2)  今井
連載”ヘデェン探検紀行全集”「戦乱の西域を行く」(2) 大関


1982年3月
jfma news no40
2月19日 例会 「ネパール報告」 講師 清岡興次
’81〜’82 ネパール・アンナプルナBCトレッキング(1)  今井
連載”ヘデェン探検紀行全集”「戦乱の西域を行く」  大関


1982年2月
jfma news no39
第7回 総会報告
今年の抱負
トレッキングから帰って  清岡


1981年12月
jfma news no38
総会議案
11月19日 例会 「インド・シブリン北稜」 講師 山本 正


1981年11月
jfma news no37
10月22日 例会 「中国・ムスターグ・アタ」 坂原忠清(スビダーニェ同人)
連載”ヘデェン探検紀行全集”「熱河 皇帝の都」  大関


1981年10月
jfma news no36
 竜頭蛇尾 「海外での遭難に思う」  今井
9月24日 例会 「ネパール・アンナプルナ山域 ラムジュン(6983m)」 講師 上総紀久男(法政大学山岳部員)


1981年9月
jfma news no35
梅原貞男追悼集  8月9日、北ア・黒薙川柳又谷にて遭難


1981年8月
jfma news no34
7月17日 例会 「オーストラリアの旅」 講師 横山幸子
連載”ヘデェン探検紀行全集”「ゴビ砂漠の謎」  大関


1981年7月
jfma news no33
 竜頭蛇尾 「まず地域研究から」
6月16日 例会 「最近のネパール」 講師 鈴木節子
連載”ヘデェン探検紀行全集”「ゴビ砂漠横断」  大関


1981年6月
jfma news no32
 竜頭蛇尾 「アフガンの友を憂う」  日比
5月13日 例会 「パミール」 講師 永木丈晴・広沢茂樹


1981年5月
jfma news no31
 竜頭蛇尾 「NHKTV ”ロプノールの謎”を見て」  大関
4月2日 例会 「中国・揚子江流域」 講師 柳沢明夫(フリーカメラマン)
読後感 「”氷河の科学”を読んで」  菅原


1981年4月
jfma news no30
 竜頭蛇尾 「濫読のすすめ」  坂田
3月10日 例会 「ヒンズークシュとアンデス」 講師 坂原忠清(スビダーニェ同人)
読後感 「エベレスト ママさん山登り半生記」  樫村


1981年3月
jfma news no29
 竜頭蛇尾「基準をどこにおくか」  (M)
2月20日 例会 「トルコ旅行」 講師 大谷衣子
読後感 「アタカマ高地探険記」  梅原


1981年2月
jfma news no28
連載”ヘデェン探検紀行全集”「トランスヒマラヤ」」(上)  杉田


1980年12月
jfma news no27
第6回 総会


1980年11月
jfma news no26
9月5日 例会 「カナダ登山・トレッキング報告」
カナデアン・ロキー:7月11日〜8月2日
  Mt.・アルバータ(敗退)、Mt.ホワイトホーン、ロブソン氷河、Mt.ウイルコックス、Mt.アサバスカ、Mt.ウイ   スラー、ピラミット・レイク、モスキート・クリーク〜ワーディンキャビン〜レークルイズスキー場、マリーンレイク〜
  パラダイスバレー、Mt.テン・ピークス、サドルバック
連載”ヘデェン探検紀行全集”「陸路インドへ」  杉田


1980年10月
jfma news no25
 竜頭蛇尾 「続 山座同定一考」  (K.I)
連載 ”ヘデェン探検紀行全集”「チベットの冒険」  杉田


1980年7月11日〜8月2日
カナデアン・ロッキー
JFMA・東京市外ハイキングクラブ合同
アルバータ、ホワイトホーン、ウーレー、ホルベス、その他トレッキング
松島以下15名


1980年5月
jfma news no24
 竜頭蛇尾 「山座同定一考」 (K.I)
5月22日 例会 「1980年1月 ブータンの旅」 森田千里(労山全国連盟海外委員長)
連載 ”ヘデェン探検紀行全集”「アジアの砂漠を越えて」(下)  杉田


1980年4月
jfma news no23
3月11日 例会 「ヨーロッパの旅」 講師 樫村邦江(会員)
連載 ”ヘデェン探検紀行全集”「アジアの砂漠を越えて」(上)  杉田
蔵書目録 3


1980年3月
jfma news no22
2月4日 例会 「ムスタン地方の特色」 講師 高橋 照(「ムスタン潜行記」の著者)
蔵書目録 2


1980年2月
jfma news no21
第5回総会 報告


1980年1月
jfma news no20
 竜頭蛇尾  「読書のすすめ」 
11月16日 例会 「カナダの山」第2回 講師 上村信太郎(いわひばり山岳会)


1979年10月
jfma news no19
 竜頭蛇尾 「楽しく登る法」  (M)
寄稿 「オーストラリア近況」 松葉 豊(画家・書家)
10月12日 例会 「カナダの山」第1回 石井貞男(豊島山岳会)


1979年9月
jfma news no18
 竜頭蛇尾  「CB12の初登頂を祝して」 (M)
4月20日 例会 「1978年インド・ヌン」 講師 永川憲明(明治学院大OB)
5月24日 例会 「1977年カラコルム・ガッシャブルムU峰」 講師 山崎(日本団体生命)
6月21日 例会 「1978年ネパール・P29南西壁」 講師 遠藤(ツラギの会)
7月23日 例会 「1978年ネパール・アンナプルナ南峰」 講師 宮川良夫(明大OB)


1979年4月
jfma news no17
 
竜頭蛇尾 「言葉と私たち」 (M)
3月15日 例会 「ネパールヒマラヤ情報」 講師 常陸民生(高崎経済大OB)


1979年2月
jfma news no15
今年のわたくしの夢


1978年12月
jfma news no14
 竜頭蛇尾 「1ドル=296円の怪」 
10月13日 例会 「パミール・コムニズム峰登頂」 講師 宮下(群馬)


1978年10月
jfma news no13
「貧乏旅行見聞記」最終回 
CB11登頂・トレッキング報告会  出席者 61名


1978年8月6日〜9月16日 インド・ピマッチャル・プラデッシュ

 9月6日、7日  セントレル・ラホール CB11(6044m) 初登、第2登
 メンバー:L松島、大関、石原、鈴木、杉田、菅原、今井、梅原、清岡
      リエゾン・オフェサー スシール・ダヒヤ、 ポーター ラマ・タシ、ピアウラル、 コック クブラム
トレッキング  8月11日〜31日 マナリ〜ロータン・パス〜バタル〜チャンドラタール〜チャトル〜ハムタパス〜        マナリ
 メンバー:L秋庭、坂田、吉村、樫村、船田、片桐、勝原、磯野、住谷


1978年7月
jfma news no12
 竜頭蛇尾      遂に無酸素時代きたる

会旗のデザイン決まる  製作者 堀川忠雄


1978年5月
jfma news no11
 竜頭蛇尾      ヒマラヤは聖なる山       

要旨:アメリカCIAがナンダデビィへ中国核実験監視装置を設置したが、雪崩で埋没した。その発電装置にプルトニューム238を燃料としているので、ガンジス河を汚染する可能性があると報じられた記事に評した。

インド・ヒマッチャル・プラデッシュへのトレッキングの日程が決まる。


1978年4月
jfma news no10
 竜頭蛇尾      日山協の良識  ふたたび海外登山推薦状問題について 神田  


1978年3月
jfma news no9
 竜頭蛇尾         現代の冒険
第3回 総会報告
続 今年の抱負  6名

 貧乏旅行見聞記(8)  トルコ


1978年1月
jfma news no8
 特集  今年の抱負  15名

 貧乏旅行見聞記(7)  インド


1977年12月
jfma news no7
 竜頭蛇尾       サーブ(主人)の登山
1977年10月17日 定例集会  「インド・セントラル・ラホール周辺のトレッキング」  報告者 森田千里
 貧乏旅行見聞記(6)  イラン  
1977年12月28日〜1月3日 JFMA冬山合宿 北ア明神岳  7名



1977年10月
jfma news no6        
 竜頭蛇尾
             JFMAの性格は 

 トレッキングの呼びかけチラシが出来上がった。素人にしては立派なチラシなので、旅行社と同じように商売をするのではないかと見間違いられるのではないだろうか。 そこでJFMAの正式態度としてでなく、一会員の勝手なものの見方を恥をしのんでみなさんに露出するしだいです。
 第1にJFMAが何故トレッキングをとり上げるか。
 第2にJFMAが何故商売をしようとしないか。
 第3にJFMAの目標は何だろうか。
の3点について竜頭蛇尾に論じて、これからのトレッキングの準備の邪魔だてのひとつとみていただきたい。
 JFMAはジェフマと呼んで略称です。正式にはJapan Frontier Mountaineering Associationといいます。
直訳すると日本辺境登山団体となりますか。Frontierに色々な意味合いをもたせています。辺境、未知、未開意味があります。そうゆうところへ行こう、登ってみようとする団体にならんとしているのです。大げさにいうと探検とか冒険的要素のあるもの、あまり知られていないところ、地味でよいからマスコミに登場していないところを狙おうということです。
 そのためには沢山の準備が必要です。日常的に諸外国の事情に目を通すこと、紀行、報告書を資料的に学ぶ
こと、語学に強くなるべく勉強すること、恒常的に健康管理とトレーニングに励むこと、人によっては登山技術を積極的にマスターすること等々盛り沢山あります。周到な準備を必要とすることを大前提にする故に、JFMAの定例集会とか、諸々の集まりが必要になってきます。JFMAは登山とか、トレッキングに行く時だけの一時的な集団で、終われば消滅するという会ではありません。海外のFrontierに興味を持つ人はJFMAでその興味を満たさなければなりません。Frontierに興味をもつ人はそれ相応にアクテブでなければならない宿命があります。その結果は随喜は無限でしょう。
  またJFMAは単なる海外旅行の代理請負団体ではない。JFMAはグアム、ハワイ、香港、バンゴック、カルカッタ、ベニス、マドリード、パリ、オスロ、ロンドン、ニューヨーク等々へ企画することはありえない。もしあるとすれば通過途上でしかない。でなければJFMAの性格を大きく変えることになる。JFMAははっきりいうならばジャルパックの真似事はしない。海外旅行会社のような企画、準備、実行はしない。理由は株式会社ではない。全員が会費を平等に支払い、企画に対等に参加し、どれだけ大きな喜びを仲間同志で手に入れるかを究極目的としているからだ。利潤は論外だからです。
 仲間同志の助け合い、向上心をもって運営することを基本としている。「連れて行ってもらう」という感覚、会員の添乗員的責任感はJFMAには不要なものです。助け合いとはギブエンドテークと矮小化してもよい。金でギブエンドテークするのではなく、友情でもってするだけに悪用にたいしては特別に注意しよう。
 今度のトレッキングはJFMAのFrontierへの準備であり一里塚であるだろう。トレッキング・グループのアクテブな準備を期待して放談をおわります。

9月12日  定例集会 「ドウナギリ東稜」  報告者 大賀由普氏
 貧乏旅行見聞記(5) 続アフガニスタン


1977年 8月
jfma news no5
 竜頭蛇尾   「山域決定にあたって」

 貧乏旅行見聞記(4) アフガニスタン


1977年 5月   会報名 jfma news 改名する
jfma news no3
 竜頭蛇尾     6000m前後の山

4月29日、NHKテレビで“奥さんと一緒”で「旅と私」のテーマで放映していた。何気なく中途半端に見てしまった。終わり近くなって「しまった」と思った。

主婦らしき方が関西弁で「日本を出る時はガス栓を閉め忘れたのではないかと、あれこれ家事のことでとても心配だった。それがアフガニスタンへ行って、シルクロードの一端を垣間見たとき、ああ世界はなんと広いんだろうと驚嘆しました。人生をこせこせ生きることはない。もっと大きく生きなければと思いました。またへそくりを貯めて行こうと相談しています。」とまあこんな趣旨で発言をしていた。主婦6名でシルクロードに行った一人の話でした。

もう少し真面目に見ていたら、沢山勉強できただろうに残念なことをした。

私はこれを聞いて「やっぱりそうか」と思った。その数日前、森田千里先生が「うちの家内は出不精だし、英語は全然駄目だというのに、昨夏インドに行って一人にしておいたら、死なずに生きていたよ。すっかり気にいってしまい、今年も行くといって、今では仲間をさそっている。人間が変わってしまうんですよ」とおっしゃていた。よく似ている話だ。

 

ここに海外へ行く誘惑の一つがあるような気がする。

私は海外登山を今までに書いたような内容の延長線上に考えている。私たちがいま調査し、あれこれ検討しているのは何だろうか。未踏峰を登るためか、それとも自分たちに合ったルートを見つけたいためか。私はそのいずれでもないし、またそのいずれでもあるという宙ぶらりんな受けとめをしている。白紙から勉強をしている。少しずつわかってくる愉しさがある。それに量が増えてくる面白さがある。その結果、現実(最低ギリギリの線でのお金、日数は出来るだけ長く、しかも休暇内で)から登るべき山を選ぶ。登攀道具を持ち込むことが可能ならば、登山申請を出さずにトレッキングとして、偵察隊として6000m前後の山をエンジョイしたいものだ。(いまIMFに申請しなければならない基準をはっきりわかっていないことを前提にして論をすすめますので、ご容赦ください。)

IMFの申請はピークを踏むために必要であり、登頂した場合登録されるとするならば、私はピークの神聖性を放棄しようと思う。ピークの手前で引き返そう。登録も望まない。但し6000m前後のそれもノーマルルートであるならばです。

国内では富士山は一年中マスコミは取上げるが、雪のない富士山は登山界では問題ないならない。同じことが世界の山にもいえる。ヨーロッパアルプスの最高峰モンブランのノーマルルートからの登頂は登山界では問題にならない。登山客としては問題になるが。バリエーション時代に入っている現在、ノーマルルートからの登頂なら7000m以上の山なら価値がある。それ以下では星くずに近い。金で星座の一つとして認めさせるような気がする。個人の満足度、主観で計るならば価値は十分にある。私は富士山以上の高い山に登ることは魅力がある。

が世界に自分の登頂価値を認めさせようとするならば、時代の趨勢をわきまえることは悪くないはずだ。

私は自分の心に登頂価値を増やすことは素晴らしいことだと思う。40日の休みがとれなかったら、とれる休暇の範囲でやろう(休暇闘争はここでは省略)。必然的に登ろうとする山の高度は低くなる。それでもまだまだ誘惑はある。2,3年してまだ海外の山へ行こう。そのために金を少なく休暇も譲歩したのだから。

1回1回経験をふやし、他の人の経験を学び、くりかえし世界の山々を登りつづけることはずーと意味がある。日本人は殆どと言っていいくらい少ないが、家族で海外の山をエンジョイするのもそう遠くないうちにくる。休暇も今より先のほうがもっととりやすくなる。

一流クライマーに、著名な登山家になるならば別だが、山を自分の生活の糧にしようとするならば、どうしても息の長い登山を考えなければならない。登山界の先鋭指向ではなく、参考とし、自分の山をいかに素晴らしいものにするかに熱中する方がずーと価値がある。

6000mからさらに高く、ノーマルルートからバリエーションへ進むことは押しとどめることの出来ない必然の成り行きでしょう。私たちの海外の山も何回も何回もやれば、一つの流れとしてそうなることでしょう。

6000mは海外へのスタートになる。が肩をはるようなものでもない。

 

 貧乏旅行見聞記(2)    
4月26日 例会   「インド・マナリ周辺」  講師・森田千里氏

 1977年 7月  
jfma news no4
 竜頭蛇尾   
「平等な登山社会を望む」 窓口一本化で
6月7日 例会 CB山群
 貧乏旅行見聞記(3)  ネパール・ポカラ


1975年8月  設立総会

1977年2月  
第2回総会 出席者 杉田、日比、松島、清岡、大関、菅原
  活動報告 (1)インド・ガルワール地域研究 (2)ヒンズー語学習会、英語研究会 (3)ヒマラヤ関係図書購入
  運営方針 (1)1978年登山、トレッキングの準備 (2)会名募集

    巻頭  周りの目
 
 海外へいくことは特別な人でなければ行けなかった時代はすでに遠い過去のものになった。 誰でも気軽に行ける。
 にもかかわらず、海外へ行くことを金持ちで暇人の世界のこただと思っている人たちが多い。島国日本の風土からくる無意識的感覚のなせる業だろうか。特に労働者という自覚からくる発想は精神的豊かさが必要です。労働者のおかれている現実の厳しさがあるからといって、精神文化や身体文化を矮小化してはいけないと思う。厳しい現実であればあるほど、それに打ち勝つべく文化をつくりあげていく必要があるでしょう。
登山も若いうちは周りから暖かい目でみられる。度を越したり、年をとって山へ行くと周りは冷やかな目に変わる。
 別に周りを気にすることはないといったものの、陰に陽に強制外的強制がある。文化の一形態として発展してきた登山を享受するだけでなく、いっそう発展させることは、登山者の責務だと思う。だから「好きなものがある人はいいね」とか自分だけの好きさの範囲にとどめたり、反対に「いい年をとってまだやっている」という見方には賛成できない。
 同じように海外への志向についてもいえる。金があるかないかは、自民党の政治家や大資本家は別として、他人から特別贈与がなければ、それほどのちがいがない低賃金労働者なはずだ。わずかな金をどっちに使うかしかない。暇もお金とさほど違いがない。惰性的な生活の中で暇をつぶすか、目的意識的に時間を活用していくかで随分ちがってくる。
 海外旅行は便利になったが、登山やトレッキングはまだもう一歩不便さがある。これも時の流れの中で便利よくなるでしょう。私たちの今おかれている環境を私たちなりに堀くずしていく時、私たちの努力が将来笑い話になるでしょう。
 第2回総会がささやかに終了した。
 来年のエクスペデションとトレッキングにまだ全員疑心暗鬼でいます。私たちの未熟さがそうさせます。
 これからすこしづつ勉強していきましょう。   (M)
                  「To Do or Not To Do」  No1  1977.03.18発行 より

1977年4月 海外への魅力 

 最近は猫も杓子も海外旅行や海外の山に登る御時世ですから、以前のような希少価値としての有難味はだいびうすれてしまいましたが、私みたいな素寒貧がン十万の大枚をはたいて出かけたり、出かけようとしているのですから、希少価値とは別の価値が何かあるにちがいありません。
 なにしろ年間数百万人の日本人がきらびやかな「海外」の魅力に抗しきれずに、ひのもとの国から大挙して繰り出していく当節、いまさら私の貧しい経験から海外の魅力をうんぬんしてもはじまりませんが、貧しいながらも自分の経験をちょっと鼻をうごかせながら語るのは決して悪い気がするものではありません。
 日本みたいに単一民族の国であればことばの苦労もまったくありません。ところがひとたび海を渡れば、ことばが私たちのまわりに絶望的なカベとしてたちふさがります。国内では苦労知らずですから、言語意識にかけているからカベは増々厚く思えるのです。
 この厚いカベを乗り越えるなり、穴をうがつなりすれば、きらびやかな魅力は私たちのものになるはずです。    また逆説的ないい方をすれば、まったくの語学オンチで海を渡れば、その旅行なりその登山なりは一層冒険性をおびてくること請けあいです。
 とにかく語学が達者かどうかどっちころんでも海外旅行(登山)の楽しさがなくならないと思います。  (池上)

   貧乏旅行見聞記(1)
 
1975年12月から77年3月まで16ヶ月の旅行記で10回連載記事です。
 回った国はパキスタン2ヶ月、アフガニスタン2ヶ月半、インド7ヶ月、ネパール1ヶ月、イラン1ヶ月、トルコ1ヶ月半、タイ1ヶ月でした。  パキスタン・カラチからラホール、ラワルピンデそしてカイバル峠をこえてアフガニスタン・カブール、下痢で苦しむ。ラホールへ戻り苦労してインドへはいる。  (杉浦・安部)


         会名決まる                
           
JAPAN FRONTIER MOUNTAINEER ASSOCIATION(JFMA)(前田注:ホームページのトップに書いてあるごとく JAPAN FRONTIER MOUNTAINEERING ASSOCIATION(JFMA)が正しいと思われる)
           未知の世界へ、時間を忘れてしまうような大自然を求めて、厳しい気候にさらされた砂漠、荒涼とした氷河、万年雪におおわれた山なみに、私たちの足跡をしるして行きたいものです。

                      「To Do or Not To Do」  No2  1977.04.25発行 より 


                   
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