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完成 
 2012年 天山トレッキング キルギス
 2012年7月14日〜7月17日

Ala-Archa National Park -Ratsek Hut base
アラアルチャ
 中野  記 



 齢 62歳にして、2度目の海外山岳トレッキング旅行の話が舞い込んだ。

JFMA"の主催で2012年7月6日〜7月20日まで二週間の旅程である。

天山山脈といっても、中国側からではなく反対側のキルギスタンからのアクセスで、目標最高標高は4527m、実質トレッキングは8日間の行程だ。

“キルギスタン” 首都ビシュケク 日本からは直行便は無く“ウズベキスタン”の首都タシケント経由で8時間である。 周辺には”****スタン”という、何ともオリエンタルな香りの国名が溢れている地域である。

全行程参加は9名で、前半のアラコル湖から温泉場のある

アルティンアラシャン国立公園周遊トレックのみの参加が5名の全隊14名の構成である。

女性5名、男性9名、年齢構成は70歳代〜30歳代まででほぼ均等な年齢分布である。

殆どのメンバーがネパールトレックを始め海外トレッキングの経験者である。 

 
 
 ネパールと異なるのが、全行程で私荷物は自分で担いでいくことだ。テント、寝袋、水、食料はポータが担いでくれるのだが、自分の防寒着、着替え、その他機材は自分で担ぐのである。

まあ、当たり前といえば当たり前なのだが、ネパールの大名登山を思うと大変な気がした。

当然、海外旅行なので私物も大量になるので、山に持っていくもの以外は、ホテルにデポしていくことになる。

また、特筆するべきは、最高齢のM氏、T氏及びO氏の3名の先発隊が、約1ヶ月前に出発していることだ。先乗り部隊として様々な現地交渉、準備をして頂き、スムーズな旅が出来たことは偏に彼らの功である。 

 
 
アラアルチャ山塊  
  さくらゲストハウス屋上から
  キルギスは、旧ソビエト連邦域内の国である。ソ連崩壊と時を同じくして独立した国である。

元々は遊牧民族が回遊し、シルクロードを東西文化が行き来する地域であった。

共産ソビエト連邦スターリン政権成立と共に、この遊牧の民や文化交流の隊商の天地であった此の自由な地域を線引き、区割りしてしまったと聞く。

キルギスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、カザフスタン、パキスタンetc  何々スタンとは何々人の居る地域と云った程度の呼称であったのだという。


 
ビシュケク近郊の南
 
ビシュケク近郊の南
 遊牧とは新しい草地、牧草地あるいは季節を求めて移動していく生活形態である。

彼らに定住志向や、線引き区割りする狭苦しい土地所有の概念は無かったであろう

。必要だったのは青い牧草であり、羊や馬と歩く自由な天地であり、異なる人種や文化をも受け入れる大らかさであったはずである。

    到着2日目 首都ビシュケクから前半のトレッキング基地になるカラコルへ移動。キルギス最大の湖の北岸を延々とチャーター小型バスで走るのである。

途上、印象的な風景に出会った。壮麗な記念碑や権威主義的な建造物が今や荒廃に任され、労働者が何万人も住んでいたのであろう放置されたままのアパート群が荒涼と広がる地域がこれである。
    いったい、人は何を為したのだろう??ガイドに聞いても、ガイドブックを見ても、このところは何を生産していた工場あるいは地域だったのか答えるものはいないのである。

つい、十数年前まで何万人或いは何十万人もの人が営んでいた生活の跡が歴然として有り、広大な滑走路まで残されているのである。それなのに、此処を語る者が居ないというのは如何した事なのだろう。
 僕の貧しい想像力は、きっと人為的に、地域ごとに、大量に、一気に、人の生活を動かしてしまったとしか思えないのである。

過去、スターリンはシベリア抑留の日本人を此の近辺に連行したし、ソ連領とした朝鮮族の地域人民を故国との交流を禁じ引き離すために、この地域に強制移住させているのだ。
  この、荒涼たる地に立って、人智の愚かしさやイデオロギーの貧しさを思い、今、わが国で起こっている原発事故を引き起こした人間の浅はかさを思ったものである。   カラコルは緑豊かな街である。ゲストハウスとはいえ、清潔で気持ちの良いホテルである。シャワーも充分な熱さの湯量であったし、快適な空調、調度であった。

が、体調に変化が現れた。殆どのメンバーが旅の間中悩まされた腹下しである。洗面所の水をコップに透かして見ると納得の行く濁りが確認できたものである。以後、ペットボトル入りのミネラルウォータが手放せなくなった。私は、4日目の朝には通常に復して、我ながらの順応性に悦にいったる。
 旅の3日目、いよいよトレッキング開始である。ゲストハウスに迎えに来たのは、軍用払い下げを改造した4駆小型トラックである。

この4駆でなきゃ確かに走れない最悪路のアプローチ道路であった。

この後の前半のトレッキング模様は岡田さんの報告を参照頂くことにして、私の報告は前半組と別れた7日目からとします。
7日目は早朝からカラコルの街の散歩散策である。

珍しい木造のロシア正教会や如何にも事大主義な勝利公園、中華民族の為のイスラム寺院はやっぱり中国風であった。ロシアの著名な探検家を記念したプルジェワルスキー公園のあとは花の盆地内にあるユルトで昼食、日帰りハイキング等、厳しいテント暮らしの合間にホッとする休暇の一日であった。
  8日目は完全移動日である。

カラコルからビシュケクへの移動中、対向車種を貨物車と乗用車に分類してみた。貨物10%に対して乗用90%である。この都市間の主要道路でありながら、物流としてよりも人的移動利用が格段に多いということである。これは、この国の産業活動が活発ではないと云えないか?

輸送手段にしても鉄道線路が一本通っているものの日に数本のダイヤ編成であるらしい。目の前には琵琶湖の数倍の湖が広がり湖上航路も未開発の状況であるのも、私たちには勿体無い気がしたものである。
 9日目 後半トレッキング開始である。

アルアラチャ国立公園入り口までビシュケク市内から60分の距離である。入園料、入園手続きを済ませて、トレック開始。アクサイ小屋まで2200m〜3200mまでの標高差1000mの登りである。ヨーロッパ系の登山客と多数行き交う。ドイツ、フランスといったところか?

皆、多量の荷を担いでおり、殆どがテント泊らしい。若くて元気なのは地元客のようだ。
アクサイ氷河の谷にあるアクサイ小屋の上階が私達9人の貸切である。氷河が作り出したモレーンの裏側に建てられており眺望は望めないものの、目の前は絶好のロッククライミング練習場である。到着、夕食までのゆったりした時間に早速山羊の一団のお披露目出現である。

部屋の寒さに、如何にも燃焼効率の悪そうなブリキのストーブの煙に燻されながらも早々と寝袋に包まった。
    10日目 アクサイ小屋をベースに 初日ウチーチェルピーク、2日目氷河湖、3日目ボックスピークを歩く計画だ。初日はウチーチェルピーク4527mを目指す。

朝食の甘いオーミールでは・・・ビスケットとお茶の朝食にボソボソパンにボソボソチーズと硬いドライフルーツと水の昼食のお陰でスタミナ切れの面々ではピークを極める事は不可能で勇気アル撤退とした一日である。4220mまでの到達である。
 
  周囲の眺望は高山そのもので、壮大な氷河や峻厳を極めた4500m〜5600mの峰峰と、遥か下方に見えるアクサイ小屋は身もすくむ高度感を得たものである。

11日目は氷河湖までのトレックである。
昨日のウチーチェルピークのほぼ半分の歩程である。

氷河の作り出すモレーンの上を各人思い思いに歩き、ガイドのニックをヤキモキさせる面々であった。 

   「さあ、飛び込むぞ!」と氷河湖でパンツ一丁になったものの、氷の下で孵化を待ちわびているボウフラ君を見たとたん、気持ちの萎えたIさんや、氷を見たらオンザロックしか思い浮かばぬNさんSさん、敬虔とも言えぬイスラム教徒ガイド ニックくんのパフォーマな祈りの時間など等、思い思いの時間をすごした一日となった。
しかし、メンバーのモチベーション消耗とアクサイ小屋4泊は長過ぎると倦怠気分が支配的となる。
 

主な原因は食事と腹具合と高山病(頭痛であろう。

前半のテント泊縦走でも同様であったが、食事がいただけない! アクサイ小屋夕食は、マカロニ、うどん、パスタにケチャップ味の野菜炒めに類するソースを載せたもの、朝食はミルク粥、オートミール、パンビスケット、ドライフルーツ、キャンディにお茶(グリーン、紅茶)等が供された。

   
     正直、調理されたものはムリムリ詰め込んだ気がするし、粥やオートミール類は甘いのである。ミルク類が練乳を使用しているからか? 最後はビスケットにお茶で過ごす事となった。

これに加えて腹具合と頭痛である。

「最終日のボックスピークは断念して、一日早く下界へ」との声になったのも仕方の無い状況である。

予定変更交渉力は、流石のリーダーIさん経験豊富なTさん、Mさんの粘り強さの賜物、下界の一泊を無事確約して明日は下山と決した。 

 12日目 山羊の一団の見送りを得て、快調な下山路。

出会う登山客との挨拶に、“ハロー”だの“  ”だの、いちいちチャイニーズ? 

コリア?と問われるのが面倒になり、いっそ“こんにちは!”に切り替えた。“こんにちは”は認識度が高く、“ジャポネ”や“アリガト” “サヨナラ”等の声には嬉しかったのであるが、“フクシマ”には複雑な思いであった。

   
     
   ヒロシマ、ナガサキ”に加えて“フクシマ”は加害側としての名を残すことになるのであろうか?

9:00に出発して12:30には登山口到着。 早速、登山口近くのレストランにてビールで乾杯である。

予定変更しての飛び込み確保のホテルに入ったのが14:30

 
 なんと、5つ星のMARY HOTELである。アクサイ小屋の蚕棚から一変しての豪華ベッドである。

勢いに乗って繰り出したレストランではさすがにイスラム圏だ、酒が無いのである。

早速キャンセルして適当に入ったレストランが中々のものであった。

中華風肉餃子、ミートパイ、グリーンサラダ、鮭のムニエル、焼き立てパン2種、これにビールにワイン、コーヒー、紅茶で皆大満足。料金が9600com/一人当たり1200com(2400円) 

 
   
   そして、もう一事件

ほろ酔い機嫌でホテルへの途上、公園で警官に呼び止められパスポート提示ときた。

悪いことに2名のメンバーがパスポート不携帯である。早速ポリスオフィスへとの指示。ガイドブックそのままではないか!! 

9人全員でこの警官を取り囲み関係者であること、5つ星ホテルに帰ることを主張しポリスオフィス同行を拒否する。 最後は英語を交えた日本語で、友好国日本人に対する配慮を強く要求したMさんの剣幕に、さしもの不良警官も根負けして解放してくれた。 安堵、安堵!! 様子をカメラに収められなかったのが残念であるが・・・

タクシー 往路127com 復路150com 

 
 13日目 終日ビシュケク市内観光

5つ星チェックアウトしてコース指定ホテルのアルピニストへチェックイン。 ホテル環境設備の落差に少々ガッカリ・・・。

牛の糞臭い(近くに牛舎が??)

昼食後、市内観光、百貨店にて土産探しで過ごす。

   博物館、公園、イスラム寺院、オペラ劇場など等、何れも事大主義、権威主義的なもので市民の親近感には程遠いのではと、思わせた。ソ連共産主義の遺物であろうか?

革命の権威付けであろうか?

にしても、下界は暑い。高度のあるビシュケクがこれなら、明日のタシケントは?

   夕食はニックガイド案内の屋外バーベキュレストランで“マトン、ラム”カバブを多量に食す。

山上以外では毎日食したマトン、ラム、牛肉であるが、すっかり肉食系男子になったようで大変旨い。

 
 14日目 実質最終日  ビシュケク⇒タシケント(トランジット)⇒ 成田

先発隊のMさん、Tさん、Oさんの三人はまた此処から別動で残置組となる。残余の薬、日用品、小額貨幣など等を残置。彼らののこり1ヶ月後の無事帰国、再会を約した。3人共最高齢の部類のメンバーにも関わらず、3ヶ月に渡るゲストハウスでの自炊生活を厭わぬバイタリティと好奇心に感歎、尊敬である。 

    ビシュケクで予約したタシケント一日観光(トランジット時間)の学生ガイドの案内で旧市街地区やモスク、バザールを観光。

焼けるように暑い太陽に足元のレンガタイルに落とした水が見る間に蒸発する。

案内したがるガイドを急かして、空港待合室で、又ビールで一息。流石のSさんは腹下しに自重。

19:30 税関無事とは行かぬ(Iさん所持金検査に足止め)が、何とか通過してウズベキスタン航空21:10に帰国途へ

   
   
     
     
海外トレッキング経験の無いと等しい私が評するのも、おこがましいのだが・・一度きりのネパールとの比較で考えると。
少なくとも今回のトレッキングルートは、緑豊かで草花の瑞々しさ、水の清らかさ、山々の奥深さ等高度山岳ルートとして素晴らしい環境だと言える。下界からのアプローチも国内の山旅と大差なく、日本人旅客には違和感無く取り組める山旅であろう。

日本にない高度域での行動であること、氷河を始め眼前に迫る迫力の山肌は国内では味わえない山の魅力と言える。

好の問題だけでなく体力と体調管理の面で山の食事は大切な意味を持つ事は云うまでも無い。現に今回、特に後半の厳しい登りに際し、実際にパワー不足を実感したものである。 海外と言うこともあり、唯でさえお腹の不調を来たすのが一般的であることを思えば、体調体力維持の為には、気を使いすぎる事は無いとも言える。

その他、山岳旅程のサービスについても、今後に期待したい。

キルギスの為に言う。

山岳観光資源としての活用を一義とするならば、人的、サービスの充実が必要だろう。 山岳ガイドのスキル育成は第一だろう。歩き出しで早速ルートを見失い、気の早いメンバーの独走を許し、渓流徒渉では的確なルート指示が出来ない、ルート最終時点での蟹歩き下降は足を痛めたとしか思えぬ有様であった。非常事態での対応力に不安を感じさせたガイドではなかったか。


中央アジアという日本からはまだまだ遠い世界の空気を満喫した機会を頂いた、多くの人に感謝いたします。
ありがとうございました。
 

   
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