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ネパール アンナプルナ・トレッキング


2015年4月15日~4月27日

                                                         坂口 記

 
ガンガプルナ7454m
4月15日
香港経由でカトマンズに夜10時に着くはずが、ドラゴン航空の機体トラブルで翌日16日午前1時近くになる。波乱の幕開けだ。

4月16日
予定では車は標高1300mのジャガットまでだったが、運転手が頑張って1400mのチャムチェまで行ってくれた。
日本では絶対通行止めになる酷い道なので、腕のいい運転手を雇わないといけない。カトマンズ朝8時に出て、チャムチェ午後4時着。

4月17日
今日から7日間のトレッキング開始だ。朝のうちは高曇りだったが、だんだん雲がおりてきて、とうとう雨が降ってきた。
道は歩きやすく安全なので、傘を差しながら歩いた。実はカトマンズ周辺は去年と同じで雨が多く、トロンパス周辺は腰ほどの積雪があり、小規模の雪崩でポーターがひとり埋没したという。シェルパ頭のビルさんが言うには、明日あたりから晴れてくれなければトロンパス越えは難しいらしい。 ドヨーンと嫌な感じになる。

道は大河マルシャンデイに沿って、緩やかに登る。トロンパスはマルシャンデイの源流にあたる。切り立った側壁にはセロジネなど日本でも馴染みのある蘭が着生している。雨で山が見えなければ植物を楽しめばいい。深い谷にあるダ ラパニ1860m泊。夕食には美味しいピザとペンネが出た。感激!
   
   
   
  4月18日
なんと、日が差している。深い谷でも今日は天気が良いことが分かる。マナスルが右手に見えるはずだが、残念!上部に雲がかかりいまいちだった。
その代わり、アンナプルナ2峰がラムジュンヒマールを従え、大きな姿を堂々と現す。この山は方向により姿を変えながら何日もお供してくれた。
ラムジュンは緩やかで山スキーにいい感じの山だな~。標高6900mもあるけど。名物シャクナゲの大木もお出まし。赤からピンクまで、白い山々といい絵になっていた。谷は大きく広がり、明るい平原となる。チャーメ2670m泊。

4月19日
今日も晴れ。天気が良いととても暑く、雨傘は日傘になる。ヒマラヤしだに青い空が映える。昨日歩きながら採ったワラビ(日本のと同じ)のおひたしを朝食でいただき、皆元気一杯だ。今日からはアンナプルナ3峰も見えるようになる。アンナプルナ山群は標高順に1,2,3,4と名前が付いている。
1,2,3,4と並んでいるわけではないので、見る場所によって位置が入れ替わり、頭が混乱する。ちなみにこのトロンパス越えルートではアンナプルナ山群最高峰で人類が初めて登頂した8000m峰であるアンナプルナ1峰は見えない。まじかに見るにはアンナプルナ内院に行くのがいい。

右手にクライマーなら絶対登りたいと思うであろう巨大な一枚岩の山、スワーガドワリ ダンダが出現!頂上には雪を抱き、標高4800m。
スラブなので長いランナアウトを強いられるのは間違いないでしょう。でも取付きまでは1時間かからない感じ。きっともう誰か登ってるね。
今日の宿はピサンピークを正面に見るローワーピサン3200m。ピサンピークは6091m。アッパーピサンの村から近く、登りやすい山とのこと。(高度順応できていれば)ヒマラヤ好きの野口健さんが登ってます。
   

カンセルカンとヤクワカン6482m 
4月20日
晴れ。今日の目的地はこの付近最大の町マナン3440m。このあたりまで来ると谷間には氷河が多くなり、デブリを切り開いた場所も出てくる。山はカンセルカン、チュルー連峰、ガンガプルナなどなど。とにかく全てが大きく高い山ばかりなので、感覚が狂う。マナン到着後、近くの丘まで1時間ほどの高度順応ハイキングに行った。
高台からはマナンの町が一望できる。正面にはガンガプルナの氷河湖が、決壊したらマナンの町をひとのみする位置にある。後ろには通称アイスレイクと呼ばれる湖もあり、この度の地震ではどうだったのか、とても心配だ。
とにかくここまで来たら、トロンパスを越えるしかない。明日からの晴天を祈って就寝。

4月21日
約束したように今日もド晴天!チュルーウェスト6419mがよく見える。ビルさんが言うにはチュルー連峰ではウェストが一番登りやすいそうだ。
ここも野口健さん登ってます。地図を確認して、傾斜が緩そうな隣のチュルーセントラル6584mはどうですかと質問すると、クレパス帯があって難しいとのこと。日本の山の感覚で地図を見たらだめですね。ヤク・カルカ4018m泊。もちろん今日も夕食前に1時間ほどの高度順応ハイキングに出かけた。
久しぶりの4000m超地点での宿泊なので、宿でも深呼吸を心がけた。 
   

アンナプルナⅡ7937m
 
 
これは雪崩です
   
 
アンナプルナⅡとアンナプルナⅣ7525m
4月22日
今日の目的地はトロン・フェデイ4450m。ハイキャンプ4800mまで行こうかという話も出たが、なるべく低い地点で宿泊した方が体への負担が少ないだろうとのことでこちらにした。その代り明日は朝というより夜2時に起床、2時半出発とする。結果的にこの判断は正解だった。
トロン・フェデイは積雪30㎝位か。さすがに冷え込みがきつい。

4月23日
トロンパス越えの始まりだ。 昨日は夕食後すぐ7時に寝た。夢も見ず、ぐっすり7時間寝た計算だ。体調良好である。いざ出発というところで異変発生!メンバーの一人がこの寒いのに (-15度)、夏山のような薄着で暑い暑いとしきりに訴える。 高度障害による精神錯乱だ!これではパスを越えられない。嫌がる本人をなんとかなだめてシェルパを一人つけてヘリコプターで降ろすこととした。彼女はメラピークも登っていて決して素人ではないが、今回は出国前からの風邪が治りきらなかったらしい。

高所ではこういう怖さがある。出国前からの体調管理はとても大切だ。ありがちであるが、長い休みをとるために仕事を残業続きで出国するなどということは避けたほうがよい。
彼女を一人残し、パスに向かって1時間ほどの急登を登っていた時にまたまた異変発生!メンバーのもう一人が呼吸の苦しさを訴える。酸素飽和度を測ると70を下回っている。平地では酸素マスクを付けて入院する数値だ。残念だが彼女もヘリでのカトマンズまでの下山となった。
   

アンナプルナⅢ7555m
真っ暗な中、前の人について延々と登る。前後には各国のトレッカー達が同じように無言で歩く。みな同じグループのメンバーのようで仲間意識を感じた。
ありがたいことにしばらくすると急登は終わり、なだらかな登り道となる。積雪1m位か。凍っておらずアイゼンの必要はなかった。
どのあたりで明るくなったのかあまり記憶がはっきりしない。軽い高度障害にかかっていたのかもしれない。とにかくトロンパス5416mに着いた時には太陽が高く上がっていた。左手にはトロンピーク6144m、右手にはヤクワカング6482mを従えた、広々とした峠である。(世界最大!) 

トロンピークは隣のカツンカング6484mとの縦走もできる登りやすい山だそうだ。メラピークやアイランドピークと同じ位のレベルらしい。といっても私は両方とも登ったことがないので分からない。ぶなの会員にはメラやアイランドなら経験者がいるのではないか。

30年かかったアンナプルナサーキット完歩までには、ここから聖地ムクチナート3760mまで下山すればいい。が、ここからが核心だった。長いこと長いこと!

所々凍った性の悪い下りが延々と続く。もういやだ~。といっても誰かが負ぶってくれるわけでなく、こういう時役に立つヤクもトロンパスからマナンへ帰ってしまってムクチナート側には来てくれない。悪いことに天気が崩れ始め、雹が降ってきた!振り返ってもトロンパスは全く見えなくなった。この場所からしか見えない鋭角三角形のダウラギリが見えなかったことはとても残念だった。半分ふてくされながら、なんとかかんとかムクチナートに着くと、空気が濃く感じた。30年前のムクチナートは、集落という感じだったが、、今は立派な観光地だった。

ここからは四駆でジョムソンまで1時間。車中爆睡である。相変わらず酷い道なのに全然記憶なし。トレッキング終了地のジョムソンには、すっきりした気分で入る事が出来た。今日は2時起床だから、通算15時間行動だった。
   
 
チャーメからピサン
 
ガンガプルナの氷河湖
   
 
ティリチョ7134mの朝
4月24日
今日の楽しみはジョムソンからポカラまでの飛行機からの眺めである。これは30年前に経験がある。その時はポカラからジョムソンだった。窓からの景色はその時とは逆で右はダウラギリ、左はアンナプルナになるはずだ。エベレスト観光飛行にも勝るとも劣らない素晴らしい景色が見れるはずだったが、残念!
高い雲がかかっていて山は全く見えず。美しい棚田は見れたけど。

4月25日
ポカラからカトマンズまで飛行機で移動し、ヘリ下山したふたりと再会。嘘のように元気になっていたが、精神錯乱を起こした彼女はその時の記憶が全く無いという。
11時半過ぎだったろうか?お昼を食べに行くので皆でホテルのロビーに集まった時に地震は起こった!ショックだったのだろう。その時の記憶があまりないのだ。
横揺れだったと思うが、よく分からない。揺れが収まった後すぐに、ロビーのクッションを頭に乗せて外に出た。大通りで様子をうかがいながら待機した。ホテル周辺は外目には崩壊している建物はなかった。しかし電線が切れてぶら下がり、ガラスが落ちて飛び散っていた。1回たて揺れの大きな余震が起きた。

昼食をとるつもりだったカトマンズの高台にある日本蕎麦屋が、もう夕方になっていたが営業しているというので、夕食をとりに行くことにした。このように停電も断水もしていない場所もあるようだった。店では数人の現地の人が何事もなかったようにフォークで日本そばを楽しんでいた。

本日夜出国するつもりだったが、私たちの乗る飛行機がフライト延期になったので(キャンセルだともう一度新たにチケットを購入しなければならないが、延期なので助かった。地震は天災なので保険は出ない。)、明日中の帰国はあきらめた。地震の後すぐに、少なくとも2機の旅客機が国際空港から飛び立つのを見た。この2機に乗れた人は、本当に運がいい。それからは救援のための各国の軍用機で空港は一杯になり、当然のことだが旅客機は後回しになった。    
   
 
トロンパス5416mの夜明け
 
   
 
ポーターと小村さん
4月26日
昨夜は運がいいことにアンナプルナホテルに宿が取れて、快適に安全に過ごす事が出来た。それができずに空港の敷地にテントを張り一夜を過ごした人が多くいたのだろう。
何しろ山登りに来ている人ばかりなのでテントはある。空港にはテント村ができていた。 それから延々空港で飛行機待ちの1日となった。とにかくたくさんの出国したい人たちが殺到したので、なにもかにもが時間がかかり、人種に関わらずいたるところで小競り合いが起きていた。東日本大震災での被災者達のありようは本当に地域的な特性による奇跡的なことだと思う。隣に誰が住んでいるかもわからない関東地方で同じことが起こったらそうはいかないだろう。

4月27日
昨日夕方暗くなるころ、待ちわびたドラゴン航空の機体が空港に到着した時は、拍手が起きた。なにしろ飛行機が飛んで来てくれなければ出国できないのである。
隣にいた日本人の若者が待っていたマレーシア航空機は飛んできてくれたのだろうか?私たちは日にちが変わった27日の午前1時には香港に着いていた。ドラゴン航空の好意で乗継便の時間まで貴賓室に入ることが許されたのは、ラッキーだった。飲み物、食事オールフリーでパソコンも使える。そこで家に連絡する事が出来た。 もう心配する事は何も無くなった。あとは機内でのんびり過ごしながら日本に着くのを待てば良かった。
   

 レンガがかなり崩れている
 
レンガづくりのところは
   
 
救援隊と物資を降ろした後自国民は‥‥
 
ネパールの地震を伝える香港紙
   


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