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完成
2013年 ネパール・西北ネパール ララ湖トレッキング



   ララ湖トレッキング報告
             

 
                           清岡  記
  日程:10月17日〜10月31日

  メンバー:杉田、石原、鴻巣、清岡、中崎 
   10月17日:羽田→タイ→カトマンズ
 深夜便で羽田を立ち、早朝バンコックに到着。乗り換えのチェクは厳しく、靴まで脱がされる。
 カトマンズへの航空便の席は運良く右側の窓が取れていたため、カンチェンジュンガや、エベレスト等が雲の上からよく見えた。

 カトマンズ空港でビザの手続きを済ませ、入国。ラクパの出迎えを受け、ダサインのお祭りともあって、マリーゴールドの花輪をかけてもらい、一路ホテルウッツェへ直行。噂通り埃っぽく、道路工事も多い。警官や道行く人も、黒っぽいマスクを着用している。

 ホテルで今回のトレッキングの支払いを済ませ、両替後一休み。夕食はラクパの招待でネワール料理店で、ネパールダンス鑑賞とコース料理をいただく。店のロキシーは、美味しくたっぷりいただく。後で聞いたところでは、ロキシーは無料とのこと。

 食後、簡単な買い物をして、明日からの移動に備える。
 




ネパールガンジへの途上でマナスル山群


ナパールガンジへの途上でアンナプルナ山群 
10月18日:カトマンズ→ネパールガンジ

 朝は早めに、ネパールガンジへ向かうため空港に移動。ポカラやルクラへは頻発しているようであるが、ネパールガンジへは、2社で朝夕、合計4便が毎日運行しているようである。
 この便でも、右側の窓際の座席が確保でき、アンナプルナやダウラギリを見ながらのフライトが楽しめた。 
 

ネパールガンジホテルでの夕食

ジュムラ周辺 
ネパールガンジは、バチィカホテルに泊まる。最初の部屋は1Fで暗いこともあって、もっといい部屋に替えるように交渉し、2Fの部屋に変更してもらった。ただ、クーラーは効いていたが、お湯は出なかった。
 以前来たメンバーによれば、少しは涼しかったようである。夕刻、力車に分譲して国境まで行ってみる。国境は、大きな通用門があるだけで、現地人は、何も制約も無く行き来している。外人と分かるのか、私たちはすぐ止められてしまった。

ジュムラ空港
 

ジュラムを振り返って
道には、牛や馬が堂々と寝そべり、人を乗せた荷馬車等が行き交い、カトマンズには見られない光景であった。 昼食と夕食は、ホテルでネワール料理のコース(カレー盛り合わせ)で、結構おいしかった。
 ただ、ホテルへ到着した時他のトレッキングパーテーが、フライトが悪天出発できず何日か滞在し、結局中止になったとの話もあったため、一抹の不安は残ったが、いつの間にかぐっすり寝ていた。
 
 
峠直下の路
 
 
DaphaLagna3729m南側から北側を 
 10月19日:ネパールガンジ→ジュムラ

 ジュムラへの便は、昼過ぎとのことで、ゆっくりと空港に向かう。
 シミコットへ行った便が往復後、ジュムラ行きになることで、2社運行しているようである。ただ、便の表示はチャーター便になっており、なかなか出発できない。やっと出発になったが、滑走路の端から、戻ってしまい待合室に戻される。
 
 
Tharmariキャンプ場 
 
Himdhuskiの吊り橋
 1時間後、ジュムラ行きの単発機が出発し、私たちの飛行機もあとを追うようにすぐ出発した。パイロットも急いでいるのか、滑走路の端まではいかず、途中からエンジンを吹かして離陸してしまった。最初は雲も少なかったが、山の方は、積乱雲が所々にあり、それを避けるように飛んでいくため、揺れる。
席も折畳みシートのため、シートベルトの固定しかなく、スリル感のある時間であった。乗ったのは双発機のため、下に先に飛び立った単発の飛行機を追い越したそうである。 
 
KapraOdar周辺
 
GhurchiLagna 
 ジュムラの空港は、500mほどの舗装した滑走路の空港で、到着後荷物を屋外で受け取り、そのまま鉄条網のゲートから出る。
 同じ便で、ヨーロッパのカメラマンのおじいさんの歓迎会があり、ターバンを巻いたシーク教徒風の団体が太鼓で、歓迎していた。飛行機は、天候が悪いためか折り返し便は飛ばず、4機ほど駐機したままで、翌朝離陸音を何回か聞いた。
 
GhurchiLagnaからカンジロバ方面
 
 
Dhuirのキャンプ地
 我々は、カトマンズから陸路で先行しているはずのスタッフの到着が遅れているため、小雨がぱらつく中、空港の露天で待機する。結局、今夜はジュムラに泊まることになり、ラクパが手配した車で、昼食ができる店に向かう。お祭りのため空いている店が少なく、食堂とは思えないような店?で、ダルと野菜炒めのついた簡単な定食を食べ、傍のキャンプ場(政党の事務所前?)へ移動し、スタッフの到着を待つ。夕刻になり、やっと全員到着し、椅子席で、宴会と夕食にありつける。
 
Jhyari村を見下ろすヒンズー教の祠と大木
 
ララ湖への峠手前からカンジロバ方面
 今回は、ラバ9頭、馬1頭、馬方2名、アルバイトの馬方の子供(道案内)、スタッフ7名のメンバーとなった。

10月20日

ジュムラ2370m 8:00
Chauriyachaur3010m 11:00〜13:00
DaphaLagna 3729m 15:30〜45
Tharmari 3290m 17:00
 夜は、小雨もぱらつき、周りの高い山は、ゆきをかぶっていた。
 
 
ララ湖畔からカンジロバ方面
 
ララ湖畔からカンジロバ方面 
 今日からトレッキングの開始となる。今日はジュムラのキャンプ場から見える3700mの峠を越える行程で、1300mほどの登りになる。
 郊外の林道を、ゆっくりと登り、3時間ほどで牧場につき、冷やしそうめんメインの昼食。
 午後は、前にそびえる峠に向け急になった山道を登っていく。道は良いが、高度も高いため息が切れる。峠の北側は、真っ黒な雲に覆われ、先行き不安になるが、カンジロバの山が雪をかぶった姿で見える。今井さんの留守電にメッセージを残し、峠を下る。
 
 ララ湖畔 
 
峠への路へのキャラバン 
 周りは、白樺や松類の林で、日本的な雰囲気な光景に驚く。ただ道は、途中から50cm毎に掘れ込みのある道がところどころ出てくる。聞くと牛や馬の歩幅に合わせ、踏まれる場所が決まり、掘れこんでしまうそうである。掘れ込みは泥状になっているため、タイミングを取りながら乾いた出っ張り部分を歩くが、全体が濡れている箇所も多く、気を遣う。
やがて、道は草原にで下には林道も見える。ジュムラからの林道だそうである。 
 
 
サイパル
 
峠でヨーロッパ人トレッカー
 
 ここで、ロキシーと飴を買い、更に林道を降り、キャンプ場を目指す。今夜のキャンプ場は、川原の湿っぽい場所で、小雨もぱらつき、寒い夜であった。

10月21日

出発 8:00
Bumra 2735?m 11:30〜13:00
Chautha上部 2935m? 16:00
昨夜の冷え込みで、霜も降りていた。
 
 
Rotgaonのキャンプ場 
 
Hatsinja村 
 昨夜使用できなかった焚き火で温まり出発。 
谷沿いの林道沿いに近道をしたりしながら下っていく。道傍には、所々に鎌の赤いマークの付いた岩が眼につく。いつの間にか林道はなくなり、立派な金網で補強された吊り橋を渡り、対岸の谷沿いを進んでいく。電線がいつの間にか現れ驚く。トラバース気味に上がり、再び谷に降りていくと、発電をしている小屋が出てくる。昼食は谷から100mほど直登した岩小屋風のバッティ。対岸の斜面には、学校風の建物がポツンと建っていた。 
 
新旧の橋 
 
Dhobighat村の棚田
 やがて谷は開けトラバース気味に、続くようになる。途中チェックポストがあり、パスポート番号等を記入する。イタリア人が数日前に通過しているだけで、あまり外人は通っていない。
 Chauthaの集落に降り、食料等を買い足す。りんご等も有り入手する。谷を少しさかのぼり、河原でキャンプする。ここは、昨日より少し標高も低く、焚き火もでき、暖かい夜を過ごせた。
 
  
立派な橋
 
ジュムラへ帰る選挙関係者
 10月22日

出発 7:45
GhurchiLagna3440m 10:00〜20
昼食 13:30〜14:25
Dhuir2410m 15:00
 谷を遡ると、Bulbuleの集落に出る。ここは、別ルートから道路が続いており、ここからは道路沿いに進む。峠下の軍のキャンプで登録し、林道から別れ峠に向かう。
 GhurchiLagnaは3440m。ここからは雪の覆われたカンジロバヒマールの山々がよく見える。メンバーが、以前越えたドルポの峠も見えたそうである。
 
 
最後の峠
   峠からの降りは、道は広いが、ツルツルの道のため、ひざがひきつる。やがて松林の中の水平のトラバース道が延々と続き、お腹が空いてきた頃やっと降りになり、林道に戻る。傍の谷川沿いの広場で遅い昼食となる。ハエが多く、少し閉口気味。
 30分ほど歩くと地図でのDhuirの集落。ここには新しそうな4WDのトラックが数台とまっていた。この先は、トラクターに積み替えるそうである。トラックの轍で50cm程掘れている箇所もあり、使えるのは乾季だけだそうである。ここでは、ビールは売れないので置いてなく、ロキシーもすっぱいものしか入手できなかった。
 
     
     
 今夜は林道を少しいったところの、道下の少し広くなったところだった。傾いたテント場であったが、焚き火とゴム製の湯たんぽを作ってくれたので、暖かく眠れた。

10月23日

出発 7:45
ララ湖湖畔 10:15
ララ湖キャンプ場2980m 12:00
 
 対岸の尾根にあるJhyari集落を越え、ララ湖へ向かう。
 

集落の上には、大木の下に祠もあり、森は密集していないが、日本の鎮守の森を思わせる。ただ、宗教としてはヒンズー教であった。集落では、連続した数件の屋上で冬に向けて屋根に枯れ草を干しているところであった。松林の林を抜け、林道と再び合流する。
 カンジロバの山ともお別れして草原に入ると、やがて車道の気配はなくなる。草原から林に入って下っていると木の間に突然ララ湖が見えてくる。地図も不確かなためラクパにも驚きのようであった。湖畔の草原で記念写真をとり、対岸のキャンプ場を目指す。
  
 
ララ湖からは雪山(Kade Hiu CHuri6627m?)も見え、湖面も透き通り、水中の倒木もよく見える綺麗な湖である。花の季節は終わっているのが残念であった。禁猟ではあるが、50cm程度のトラウトの泳ぐのも見えた。傍のMuguの飛行場も舗装されたので今後、乾季にはアプローチも楽になるであろうとのことであり、実際毎日飛行機の音が聞こえていた。
 キャンプ場はロッジも展望塔もあり、区画が区切られた気持ちの良い場所である。午後はゆっくりスケッチをする人と別れ、何人かで軍の駐屯地までの散歩を楽しむ。
  

 夜は、体調が悪くなって何回か起きたが、空一面の星空と天の川と何十年ぶりかに見ることができた。
 

10月24日
出発 7:45
峠3754m 12:00〜13:00
Rotgaon 2995m? 16:00
 
 予定では、1日ララ湖で過ごす予定であったが、少し遅れたため、早々に出発。湖の出口の谷を降りていく。所々に集落が現れ、土を掘り下げて薄い岩を積み上げ新築の住宅も建ちつつあった。 

この峠からの降りは、道はコンクリート状の電光型。周りの草の生えた斜面についた踏み跡を下っていくが、厳しい降り(標高的には50m程度)だった。ただ、この時間帯でも地元の人は、サンダルで荷物を担いで大勢登っていった。
 谷に沿って下っていく道は、草原有り、樹林帯ありで気持ちの良い道である。当初予定したGorusinghaは狭いため、大分下った草原の広がる川原で、キャンプ。傍の民家で、羊の足とロキシーを入手し、夜はラムカレー。



10月25日

出発 7:45
Dhobighat2410m 12:00
 今日は、日程的に余裕もある。キャンプ地からは、急な谷沿いの道を下る。途中には、水車小屋が続いている。林道のそばには、学校もある。ただ、お祭りの期間とのことで、学校は休みでガランとしていた。
 今、選挙シーズンとのことで、このような山の中でも各団体の行進が見られた。林道では、初めて走っているトラックを見かけた。暑さと埃がすごく、乾季の欠点でもある。
 

Hatsinjaから、川を渡りSyauleコーラに入る。先行したロバが、橋の金網にコメ袋を引っ掛けたようで、延々とコメが落ちており、途中で地元のおばさんが拾っていた。 
今日のキャンプ場は、谷沿いの田んぼの中。
 時間も早く、水もあるので、洗濯等でゆっくりする。手前に寺もあったが、疲れていたのか行く気にはなれなかった。
 


10月26日

出発 8:00
    昼食 11:15〜12:30
    JaljalaChaur 3270m 15:00
 今日は、Syauleコーラを辿りジュムラとの峠近くまでの予定で出発。キャンプ場の上部は、棚田が続き、牛で脱穀している光景も見える。主要道か位置は整備されており、道端のバッティでりんごを勧められる。道は穏やかな登りで、林間の谷沿いの道で、片方には牧草に覆われた山肌が見える。途中の小さな峠では、突然庭で食事中の人家が現れ驚く。この家で、初めて飼い猫を見た。腫れ物用にオロナイン軟膏を分けると、お礼にりんごを頂いた。
  

草原脇の枯れ木に日をつけ、そのまま焚き火にするので、山火事が心配だった。夕食は、手前の村で入手したと思われる鶏をしめて、焼き鳥、唐揚げが食卓にのぼった。


10月27日
出発 8:00
牧場下 11:30〜13:00
ジュムラ 14:45
 今日は、ジュムラに戻る日である。最後の峠3700mがあったが、急登もなくスムーズに通過できた。峠を越えると、初日の峠が見える。
 

草原から、牧場、松林のなだらかな道を、初日昼食をとったChauriyachaurの牧場に到着。ここで昼食かと思ったが、誰もいない。昼食は少し下った松林の中。
 眼下には、ジュムラの街も見え、ゆっくりと下っていき、最初のキャンプ地で打ち上げを行った。


10月28日
ジュムラ→ネパールガンジ→カトマンズ
 飛行機は昼前とのことであったが、現地で借りた装備類もあったようで、スタッフは後片付けと、洗い物、荷物の整理に忙しい。
 

スタッフもカトマンズには、往路の道路のひどさと恐ろしさに閉口したのか、スタッフ全員がネパールガンジまでは飛行機を使うとのことで、荷物を空港まで運ぶ

 街では、サーカーの試合に出くわしたが、何処からこんなに人が集まったと思うほど、大勢の観客が集まっていた。選挙対策か警官も多く、軍隊の行軍にも出会い、少し物騒な雰囲気でもあった。

空港では、向こうの出発情報があるまで入れないので、傍のレストランの屋上で待機する。日陰は寒いくらいの気温である。予定より1時間程度遅れで、出発できる。到着と同時に荷物を積み込み、飛行機は10分程度の滞在で折り返していく。

 ネパールガンジでは、時間があれば別の高級ホテルでシャワーを浴びる計画であったが、それも中止になり、空港のレストランで軽食とビールを取りながら待機する。 

カトマンズの便も1時間程度の遅れになり、ムーンライトホテルにやっと到着する。時間も遅くなっていたため、夕食の時間も少なく、傍のチベット料理店で軽く食事をとり、その後久しぶりに暖かいシャワーを浴びることができた。


10月29日
カトマンズ滞在
 今日は、買い物に時間を費やす。タメルで、マサラ、紅茶、マット等のお土産の買い物。ラクパの案内で、順次専門店を回って調達する。

 昼食は、「ふるさと」で日本料理を食べ、一度ホテルに戻る。
 
夕食はラクパ夫婦と子供と一緒に、ネワール料理とネパールダンスを楽しむ。


10月30日
カトマンズ→バンコック→成田
 残ったルピーでスーパーで買い物のあと、ゆっくりホテルを出発し、空港に向かう。入口からかなり混雑しており、余裕をもって行く必要がありそうだ。ただ、搭乗口もはっきり表示されることもない。杉田さんが職員に聞き、搭乗口前で待つ。離陸自体はあまり遅れることなく出発できた。 
 
 
 
 


ジュムラ空港傍のホテルから管制塔
  ジュムラ空港傍のホテルから管制塔バンコックの乗換えでは、乗換え口を間違えたため、延々1kmほど歩く羽目になり、疲れも溜まってきたのか、体調不良になるメンバーもでてきた。それでも、無事成田行きの飛行機に搭乗し、今回の旅を終わることができた。

 西ネパールは旅行者も少なく、生活レベルも昔のアンナプルナのトレッキングを思いだしてしまう程であった。杉田さんは、学校への寄付用に鉛筆を準備していたが、出会った子供たちにはペンをせがまれていた。  

ラクパ夫妻と娘のお別れ会 
 ラクパ夫妻と娘のお別れ会  今回、ラバ等を使用したため草原状の場所でのキャンプであったが、湿っぽいところが多いのが欠点ではある。また、道路も整備されつつあるが、雨季には使用できそうにない。ただ、乾燥がひどくなると埃に悩まされるため、今回は運の良い時期にめぐりあ会えたと思う。
 風景も、樹林帯や、尾根まで続く草原、雪山の眺望と、予想外の景色を楽しめた。
  








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