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 完成
 2013年 エベレスト街道トレッキング 
 
 カラパタール5,545m
2013年7月9日  岡田  


 

トレッキング開始
   52 Lukla(8:00)Cheplung(9:00)(10:30)Ghat(12:00)Phakding(13:00)Monjo(15:20) 標高差:-5m

Kongde(コンデ):6,187m 
Khumbi Yui Lha(クーンビラ):5,761m
Kusum Khangkaru
(クスムカングル):6,367m

遅延・中止が当たり前というルクラ便。午後につけば良いと思っていたら、なんと定刻よりも早く到着してしまった。『世界一危険な空港』と呼ばれているルクラ空港であるが、うわさ通り、その勾配を利用して制動をかけるという短くて急坂の滑走路にはびっくりした。

予定よりも早く到着したこともあって、パクディンまでの予定をモンジュに変更してトッレキングを開始。始めてのネパールということもあって、遠くにそびえる山々はもちろん、額を上手に使って荷を運ぶ人々や街道を練り歩くゾッキョ(ヤクと牛の掛け合わせ)等、見るものすべてがおもしろい。

   

マニ岩とマニ車
 
生活物資を運ぶ人々  
   
ナムチェ
   意外だったのは、その埃っぽさ。JFMAの先輩方から聞いてはいたが、乾燥した空気のせいか、街道の土も干からびたゾッキョの落し物も、すべてが空気中に舞っているように思える。トレッカーはもちろんポーターたちも色とりどりのマスクをしている。
初となるロッジ泊まりに緊張したが、簡素なベッドのみとはいえ、清潔な室内に安心した。またロッジで使っているポットが時代がかっていてかわいい。

53 Monjo(7:50)Namche(12:15) 標高差:605m

Khumbi Yui Lha(クーンビラ):5,761m
Kusum Khangkaru(クスムカングル):6,367m

Everest(エベレスト): 8,847m
Lhotse(ローツェ): 8,414m

ワイヤー橋が架けられた川を何度も渡りナムチェまで。 行程途中でエベレストが見えるというので楽しみにしていたが、遠すぎて「あ、それ?」といった感じ。言われないとありがたみがない。「きつい」という前評判のナムチェ手前の急登だが、丹沢大倉尾根の方がキツイ印象。日本で日頃ハイキングを楽しんでいる人たちには、なんてことないだろうと思う。

 
 到着したナムチェは、小じんまりしたカールに建てられた小さな町。遠くから見ると、両手で掬えそうだ。とはいえ、エベレスト街道の中では一番大きな町。水は豊富だし電気も不便なく使えるし、毎週開かれる朝市で日常品の買い出しをするため、近隣の村々からも沢山の人たちが訪れる。そのためトレッカーにとっても、高度順化のために連泊するには、いたって便利な町なのだ。

ご多分にもれず、私たちもここで二泊を過ごした。この日は到着が早かったので、町の裏にあるチョルクンの丘やシェルパ博物館を覗いてきた。

シェルパ博物館には、歴代のエベレスト登頂者の写真が飾られている。先日80歳で登頂された三浦雄一郎さんも、きっと今頃はコメントが書き換えられていることだろう。

 
   
朝陽 チョルクンの丘にて
   
朝市
 
クムジュンのマニ岩 
   54 Namche(8:20)KhumjungKhundeNamche(15:15) 標高差:405m

Kongde(コンデ):6,187m 
Tengi Ragi Tau(テンギラギタウ):6,943m
Kusum Khangkaru(クスムカングル):6,367m
Khumbi Yui Lha(クーンビラ):5,761m
Thamserku(タムセルク): 6,608m
Ama Dablam(アマダブラム): 6,856m
Everest(エベレスト): 8,847m
Lhotse(ローツェ): 8,414m

高度順応日。早朝、チョルクンの丘へ行き朝陽を見る。アマダブラムからの太陽を浴びたコンデ等の山々は荘厳で、また遠くに見えるエベレストとローツェも神々しく見える。気持ちを洗われたところで、ハート(朝市)を見学。朝市の活況は一見の価値あり。

   
タンボチェへの道
 ネパールの国花でもあるしゃくなげ
   
             タンボチェのゴンパ
   順応ハイクは、クムジュン〜クンデの周回コース。残念ながら村の北端のゴンパにあるといわれているイエティの頭部を見る時間はなかったが、日本人が建てたというエベレスト・ビュー・ホテルでは休憩することができた。行く前には「酔狂な」と思っていたホテルだが、実際にその場に行くと、あの高所によくぞこんな立派は飛行場やホテルを作ったものだと、感心してしまった。地元の経済効果にも多大な影響を与えていることだろう。 

55 Namche(8:00)Thengboche(14:15) 標高差:220m

Khumbi Yui Lha(クーンビラ):5,761m
Thamserku(タムセルク): 6,608m
Ama Dablam(アマダブラム): 6,856m

 朝、ナムチェのゴンパを見学した後にトレッキングを開始。この日の行き先は、大きなゴンパと、年に一度開催されるお祭りで有名なタンボチェへ。ナムチェからの標高はないものの、一旦300m下がるので結果として600m近くの急登が待っている。ナムチェまでの登りよりも、はるかに厳しい。
だが、ありがたいことに、山々のしゃくなげが見頃で、周囲を見渡し感嘆の声をあげ、真っ赤なトンネルを抜けたりしていると、いつのまにかタンボチェに着いていた。到着したタンボチェは、なにかしらのオーラがあるような、パワースポットといった印象の村だ。裏手の丘には、亡き登山家の加藤保男氏や元総理大臣の橋本龍太郎氏のお墓があるのだが、ここを選んだ理由もわかるような、素晴らしい眺望だった。
   
タンボチェのロッジ 背後はタムセルク 
   
ローツェ 
 
プリムラ 
   56日 Tengboche(9:00)Dingboche(15:10) 標高差:550m

Khumbi Yui Lha(クーンビラ):5,761m
Thamserku(タムセルク): 6,608m
Ama Dablam(アマダブラム): 6,856m
Tabuche Peak(タブチェ): 6,367m
Everest(エベレスト): 8,847m
Lhotse(ローツェ): 8,414m

いよいよ4,000mを超えた場所での宿泊となるディンボチェへ。
イムジャコーラ(川)を渡ったあたりから、それまでの花に彩られたパスが荒涼とした風景に代わってくる。途中、アマダブラムBCへ向かう分岐があるのだが、あちら方面もまた荒涼とした風景で、登攀をより厳しいものとして印象づける。
到着したディンボチェは、目の前にどーんとアマダブラムが聳え立ち、おのずとこちらのテンションも上がる。
この先はどんどん高度を上げていく未体験ゾーン。とにかく水分を沢山とり、深呼吸をして酸素を体内に取り込むよう意識することにする。

   
アマダブラムと記念撮影 
 
ガイドのキルケンさん
   
ポーターのビサールくん
   57日 Dingboche(8:10)(10:50)Chhukhung(12:30)Dingboche(14:00) 標高差:300m

Thamserku(タムセルク): 6,608m
Kangtega
(カンテガ): 6,685m

Ama Dablam(アマダブラム): 6,856m
Island Peak(アイランドピーク): 6,189m
Lhotse(ローツェ): 8,414m

高所順応日。アイランド・ピークへ向かう途中の村、チュクンまでハイク。
やはり荒涼とした印象のパスだが、真っ白なローツェをはじめ、アマダブラムもますます迫力を増し、また山々の氷雪もはっきり見分けられるような距離まできたことに感動する。素晴らしい景色の中のトレッキングとなった。

5月8日 Dingboche(9:20)Thukla(12:10) 標高差:210m

Thamserku(タムセルク): 6,608m
Kangtega(カンテガ): 6,685m
Ama Dablam(アマダブラム): 6,856m
Taboche(タボチェ): 6,367m

当初の予定ではロブチェまで行く予定だったが、同行者の体調がすぐれないのでトゥクラまでとする。

     
 タブチェ
   
 トゥクラへの山肌
 山肌を巻くようなパスは標高差もなく、のんびりした散歩といったところ。だが、そこから見える眺望はアマダブラムからカンテガ、タムセルクといった高峰が一列に並び、まさに「クンブ・オールスターズ」といった感じ。左手に見える川沿いにあるペリチェには、このトレッキング・パス最高度となる診療所がある。朝から救護ヘリが忙しく飛んでいた。

午後あまった時間で、氷河湖を見に行く。雨季前ということもあって水量が少なく、またおなじみの「午後から曇り」の天気とも相まって、神秘的なブルーとは程遠い「渇水期のダム」といった景色にがっかりしてしまった。機会があれば、秋に訪れてその神秘的な顔を見せて欲しいと思った。その晩のトゥクラのロッジでは、ヤクのフンを燃料としたストーブで暖をとる。

 
       
      Chola Tsho(チョラ・ツォ)氷河湖    59日 Thukla(8:20)Lobche(12:40) 標高差:190m

Thamserku(タムセルク): 6,608m
Kangtega(カンテガ): 6,685m
Ama Dablam(アマダブラム): 6,856m
Taboche(タボチェ): 6,367m
Pumori(プモリ): 7,165m
Kongma Tse(コングマテイシェ): 5,820m

一日遅れてロブチェへ。トゥクラのロッジを出た瞬間からかなりの急登。プモリが目の前にそびえ感動するものの、高所ということもありかなりきつい。ヒーヒー言いながら登りきると、そこはチョルテンで、エベレストで亡くなったシェルパたちのお墓がある。1996年のエベレスト大量遭難で亡くなったスコット・フィッシャーのお墓もあり、見ていて切なくなってくる。そこを過ぎるとクンブ氷河が現れ、「いよいよカラパタールまであとわずか」と期待感に胸も膨らんでくる。

         チョルテンからみた山々 
    ゴラクシェプからカラパタールへ    
 プモリ カラパタールより
   だが、ここの標高は5,000m弱ということもあってか同行者の体調もすぐれないまま。話し合いの結果、彼女はここで停滞。私のみ翌日高所を目指すことになった。

別行動はわずか一日。この時点でカラパタールとBCの両方に行くことは不可能となった。悩んだ末、眺望の良いカラパタールへ行くことにする。

510 Lobche(5:15)Gorakshep(7:15)Kala Patthar(9:40)GorakshepPyramidLobche(15:30) 標高差:640m

Pumori(プモリ): 7,165m
Everest(エベレスト): 8,847m
Nuptse(ヌプツェ): 7,861m
Lhotse(ローツェ): 8,414m
Ama Dablam(アマダブラム): 6,856m
Kangtega(カンテガ): 6,685m
Thamserku(タムセルク): 6,608m

 通常、カラパタールやBCに行くには、もう少し高所のゴラクシェプという村を拠点とする。というのもロブチェからだと往復8時間かかり、標高からいっても日帰りはきついからだ。が、私はそれをやらなければならない。ここクンブの気候は、朝10時を過ぎると雲がだんだんと出てきて、午後には曇りはじめ、夜には小雪やみぞれが降るといったものだ。よって、カラパタールからの絶景を見るためには、10時前には着かなければならない。

早朝、朝食もとらずに出発。誰もいないパスを、ガイドのキルケンさんと二人で歩く。5,000mを超えているだけあって、足先も今までとは違ってしびれてくる。2時間ほど歩いて到着したゴラクシェプで小休憩。ビスケットで小腹を埋め、カラパタールまで急ぐ。急ぐといっても、呼吸もしんどくなるので早くは歩けない。一歩一歩「ビスタリ(ゆっくり)」だ。

なんとか10時前にカラパタールの頂上に到着することができた。ここからの眺望は筆舌に尽くし難たい。エベレストはもちろん、ヌプツェもプモリも目の前にそそり立ち、その圧倒されるような氷雪の山肌には鳥肌すらたつ。遠くWestern Cwm(氷河)の末端に色とりどりのテントをたてたベースキャンプが見える。うわさ通りのすごい数だ。あの中に、80歳での登頂に挑む三浦隊はもちろん、JFMAでもおなじみのネパール人ガイド、ラクパくんがエベレストの頂上を踏まんと陣取っている。

          エベレスト ヌプツェ     
    エベレストBC カラパタールより
 
 アマダブラム、タカンテガ、タムセルク等々
   正直、行けなかった無念さも感じたが、眼前の高峰はもちろん、ゴラクシェプの向こうに遠くそそりたつ「クンブ・オールスターズ」の山々の眺望に感動し、また癒され、至福の時間を堪能させてもらった。

すばらしい余韻にひたりながらの帰路、イタリアとネパールの共同開発である高所研究所(ピラミッド)を見学させてもらった。ここでのデータは、ヒマラヤをはじめとする高峰を登る登山家たちに多大な恩恵を与えているのはもちろんだが、低所での我々の生活にもまわりまわって影響を与えているようだ。興味深い施設だった。

 

511日 LobcheLukra

同行者の体調不良のため、ヘリを呼んでルクラまで下山となった。

10日かけてきた道を10分で降りるというのは、なんとも表現しがたい感情を産むが、高山病はあなどれないので賢明な選択だったと思う。

ルクラでは救急病院へ行き、酸素吸入等の処置をしてもらった後ロッジへ。本当なら、ルクラよりさらに高度を下げたカトマンズへ帰りたいところだが、この日の午後は天候不良で飛行機が飛ばずに断念した。

   
          エベレスト
        ゴラクシェプと氷河                ルクラのゴンパ    512日 Lukla 散策。Mera Peak 3,170m程度までハイク

カトマンズ行きの飛行機の予約変更ができず、やむなくこの日もルクラ泊となったために近隣を散策した。

村のゴンパは、数日後に開かれるお祭りの準備中。また途中までとはいえ、メラ・ピークへの道を途中まで歩けたのは収穫だった。

エベレスト街道がその名の通りの「街道」で「生活道」だったのとは違い、こちらは途中に村もなく、純粋な登山道だった。もちろん、途中に住む住民も歩くし、ピークへ向かうキャラバンが歩いたりもするので、踏み跡はばっちりとある。だが、バッティが軒を連ねるエベレスト街道とは違い静寂そのもの。私にはこちらの方が性に合っている。

 

 513日 Lukla〜カトマンズ

早朝から空港に行き、なんとかカトマンズ便を2席ゲット。ガイドのキルケンさんは、申し訳ないが後から来てもらうこととし、先にカトマンズへ帰り、同行者はカトマンズの病院で再検査してもらった後タメル地区のホテルへ。

514日 タメル散策 

帰りの飛行機は格安券のために変更不可。同行者の体調もまだすぐれないことから、ポカラ等の別案はやめ、素直にカトマンズで停滞することとした。

とりあえず、タメル地区を散策したが、ごみごみごちゃごちゃした町で、どうにも落ち着かない。クンブも埃っぽかったが、ここはそれに加えて排ガスもあるので、空気がとんでもなく汚いと感じられる。マスクは必携。またバイクや車のクラクションの音がしまくっていて、これもまた落ち着かない原因の一つだ。

タメル地区の和食は、家庭料理といった感じでまぁまぁだった。

 
           お祭り用の靴         この山の向こうにメラピークが
 
 スワヤンブナート 
   515日 スワヤンブナート&ダルバール広場

同行者とは別行動となったので、私は今回お世話になったガイド会社FATLPさんに、バイクで市内を案内してもらった。歩いているときにはうるさいバイクだが、狭い路地も行ける機動力はすごく、ここカトマンズがバイクだらけなのもうなずける。スワヤンブナートからは市内が一望。早朝にはヒマラヤも見えるそうだが、残念ながらこの日はガスで見ることができなかった。ダルバール広場では、その年代物の建物に圧倒。写真で見るよりも、そこに行って自分の目と肌で感じることをお薦めしたい。また私たちはダメだったが、運がよければ、窓辺に現れるクマリ(少女の生き神)とも会えるそうだ。

   
  スワヤンブナートから見た市内
          バクタプル    
バクタプルに住む人々
   516日 バクタプル&ボダナート

タクシーで近郊の古都バクタプルとボダナートへ。昨日のダルバール広場にも感動したが、こちらはそれをそのまま田舎にもってきたような古都で、ある意味、映画のセットのよう。びっくりしたのは、そんな古くて技をこらした装飾を携えた建物にもかかわらず、今も現役で人が住んでいること。一見の価値はあると思う。


本来の目的であったカラパタールとエベレスト・ベースキャンプの双方を訪れることはできなかったがそれでもヒマラヤの高峰を間近に見ることができ、心に残る旅となった。同行者が高山病になったことは極めて残念なことだったが、「高所」での対応や覚悟等々、良い勉強になったと思いたい。

高峰とまた会うにはそれなりの日数も必要となるので、すぐに機会が訪れるとは思えないが、それでもいつかまた、タムセルクやカンテガ、また他の山々にも会いに行きたいと思う。

今回のトレッキングにあたり、企画段階から帰国後まで、沢山のアドバイスをしてくださったJFMAの先輩方に感謝したい。ありがとうございました。

         
  <参考>

・カトマンズ市内:日中数時間の計画停電あり。

・エベレスト街道の物価(高度とともに値段も上がる)

ナムチェのロッジ:トイレ付500rps、トイレ無200rps

水(1L): 〜300rps

湯(ポット): 〜600rps

充電: 〜400rps/時間

Wifi: 〜600rps/時間(遅い)

シャワー: 〜300rps+α

・天候:朝10時頃までは晴天。だんだんと雲があがってきて、夕方から小雨、みぞれ、小雪となる。

・服装:日本の夏〜秋山装備。


       
         
         

                                        






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